季節外れのせみ
 育った頃の思い出と言えば、たった一つの村でそれなりに幸福に生きていけたことかな。
 
 
 
 
「ねえ、アリサ。わたしね、いつかアリサとやりたいことがあるの」
「ん?何?」
 彼女は朱鷺(とき)色の腰辺りまである髪を揺らして、薔薇というよりはコスモスのような笑顔でこう言った。
「二人でね、旅をするの」
「外の世界を?」
「うん。外は広くて、それはもうすごいのよ」
 そこまで言うと彼女は表情を暗くした。
「どうしたの?」
 わたしが訊くと彼女は微苦笑した。大きくくりくりと小動物のようによく動く瞳は、髪と同じ色で愛らしいほどだった。その瞳が微苦笑の表情を出している。一番不思議なのが耳で、尖っているんだ。それがシンシアなんだけど。
「でも、きっと一生叶わない夢だわ」
「何でよ。一緒に行きましょうよ」
 わたしだって外に出たい。外に出てたくさんのことを知りたい。でも村の人は一歩も外に出すことを許さなかった。村の人達はが一歩も出ようとさえしなかった。わたしは村の人が好きだからおとなしく言うことを聞いてる。・・・今は。それにちょっとしたトラウマもあるから。
「アリサは、アリサはまだこの村を出てはいけないわ。だってアリサはゆ・・・だから」
 え?上手く聞き取れなかった。何だからって?
「・・・う・・・やだから」
 そこだけノイズが混じったように、嫌に上手い具合に聞こえない。
 シンシア・・・?なんなの・・・?
 
 ちゅんちゅん。小鳥の鳴き声で目が覚めた。
 あれ・・・あれって夢?なんか現実味帯びてたなぁ。
 布団の中で溜め息をつく。
 やっぱりこれって、外にだしてほしい欲望とか願望とかが出てきたのかなぁ。
 隣の布団に父さんも母さんももういない。起きてるらしい。
 わたしはまだ眠いこともあって狸寝入りを決めた。うん、そうしよう。
「アリサー!アリサー、ご飯ですよー」
 う・・・母さんの声・・・。
「アーリーサッ!早く起きなさい!もう。早起きは三文の徳というでしょう。今日は長老様から魔法のレッスンでしょ?ほらっ。寝たふりも遅起(おそおき)も禁止!」
 ふ、布団を剥がれた・・・。ま・・・夏だから寒いとかないけど。
 結局子供は親には勝てないんだわ。
 
「ふむ。今日は森林浴にて精神を養うべし!じゃ!!」
 くるっと長老は踵を返して家の中へ。勢いよく扉を閉めた。・・・昨日の薪割りし過ぎなのが今日に響いたんじゃない?長老は。
 今日は森林浴か。寝れるなぁ。まだ寝たりないから丁度いい。
 そうだ。シンシアも誘おうっと。
「わっ!」
「ひゃっ!」
 後ろからいきなり大声出されたと同時に押された。
「し、シンシアっ!」
「もうアリサったら。全く気づかないんだもの。こう、からかいたくなる気持ちはわかるでしょ?」
 笑いながら手をひらひらさせるシンシア。
 わたしもおかしくなってシンシアの後ろから手をかけた。
「ね、今から“ひみつきち”行こう。丁度誘おうと思ってたの」
「すばらしいわ。行きましょう。わたしも暇だったのよ」
 村の中と見分けるのは柵。出来るだけ柵近くがいい。結構森の奥で動物達もたくさんいるし、シンシアと二人で作った“ひみつきち”があるのだ。
「そうだ。アリサ知ってる?」
「ん?何を?」
 疑問符を頭の上につけて訊くと、
「ファブが村の掟を破ってしまったの」
「ファブが?」
 ファブと言えばふくよかな体系に笑顔が似合う気の優しい、んでもって意味もなく宿屋をやってる人だ。
「ちょっと柵の近くで怪我で倒れてる人がいてね。助けたんだって
「ふうん」
 そんなの、勝手じゃない?
 人がいいファブらしいし、やっと彼の家も宿の役割が出来たってだけで利点ばっかりじゃない。
 だから特にコメントしなかった。唸って、それだけ。
「・・・アリサ?」
 シンシアが勘違いしたのか心配そうに顔を覗いた。
「なんでもないよ。ところでさっ」わたしはいきなり話を切り替えた。「今日の森林浴はどうする?村の中飽きちゃったし、外に出ようよ」
 さりげなく言ってみた。今日の夢で唐突に思い出したのだ。
「・・・アリサ」
 声色を低くしてシンシアが言った。まるで非難の声みたいで、とりあえず賛成ではないらしい。
「・・・ごめん。言わない。言わないけど」
「けど、何?」
 シンシアってあの夢の通り二人で旅に出たいって・・・思ってるのかな。
 もちろん、言えなかった。夢は夢、現実は現実だもの。
 
 ちょっとした“ひみつきち”。ここに村人に怪しまれず来れるから、森林浴は大好きだ。精神が養えているかどうかと訊かれたらわからないけど。・・・どうせ長老の気まぐれで魔法のレッスンの中身決まるし。この前なんてベギラマを教えるとか言って結局寝ちゃったし。それにギラも覚えてないのに何でベギラマをって愚痴ってたなんて言ったら魔法で殺されかねない。ああ見えて結構なエキスパートだから。
 “ひみつきち”にはいろいろあった。たくさんの藁(わら)を山にしたベッド、大きな木の穴を使って万が一雨が降った時とか大丈夫なようにしてあるし、その中には森の動物達用の餌箱がある。木の上には小鳥小屋がある。いわば自然の一種みたいなもので、自然の一部といえばいいのかな。
 いつもここでシンシアとだらだら・・・いえ、森林浴をしてます。
 今は二人そろって藁の山に寝転がっている。
 耳を澄ますと色んな森の息遣いが聞こえる。
 颪(おろし)によって吹く風が、木の葉を揺らす。鳥の鳴き声、動物の鳴き声。近くには小川も流れてるからせせらぎの音も聞こえる。
 そしてあれは・・・、
「せみ・・・?」それもミンミンゼミ。夏真っ盛りに鳴くはずの。
「もう夏終わりかけなのにねぇ・・・」
 首を傾げながら二人で、いつの間にか眠っていた。
 
「ん・・・」
 あれ、寝ちゃった・・・。隣でシンシアも可愛い寝息を立てて寝ていた。
 今いつぐらい・・・?空を見る限り、真上から木漏れ日が漏れてるところからして・・・昼時かな。
「ふわぁ」
 大きく伸びと一緒に欠伸。そういえばお腹すいた。
 母さんが昼食でも準備してるかな。シンシアも誘おう。うん。そうしよう。
 シンシアは家族がいない。父母共に魔物に殺されてしまったらしい。
 魔物って。正直あまり信じていなかった。魔物なんているわけないし、子供に言いきかせる迷信みたいなものではないのか。悪魔だとか。
 でもあるとき長老が言っていたっけ。
『わしら人間が魔法を使えるというのは、神が魔物に対抗するために授けてくださった力なのじゃ。それを安易に使ってはならん。真に必要な者だけが使えるのじゃ。今のアリサに使えないのは、真に必要な時ではないと神が判断しておるからじゃ』
 って言われても。神様サボってるんじゃないかなってちょっと思ってしまう。
 村の人達はわたしを小さい頃からずっと鍛え上げてきた。理由は知らない。上手くやると村人は褒めてくれるから、小さい頃はそれだけで満足だった。夢中に自分を磨き上げていた。
 でももうさすがにそこまで子供じゃないから。時々疑問に思ってしまう。村の人を疑ってしまう。
 わたしって、何のため?って。なんでこんな規制をたくさんかけられて暮らさなきゃいけないの?って。
 大きく溜め息をついた。あーあ!暗いのは性に合わないわ。
「シンシアー。シンシアっ」
 彼女を揺り起こした。甘い吐息と共にシンシアは起きた。
「う・・・うーん・・・後ちょっと・・・」
「なにグチグチ言ってんのよっ。もう昼よ!昼ご飯食べよっ。シンシアもお腹すいたでしょ?」
「うーん・・・眠いから寝させて・・・」
「もう」
 いつまで経っても藁の布団から起きだそうとしない・・・。もう。寝起きの悪いシンシアらしいけど。っていうか朝の自分みたいだけど。
 しょうがないからその大きく尖った耳元で叫んでやった。・・・耳が大きいからそこまで大きくはしてないけど。
「シ・ン・シ・ア!」
「ぅひゃぁ!っきゃ!」
 シンシアは勢いよく飛び起きた。うん、効果大。なのはいいけど勢い余り過ぎて下まで転がり落ちてしまった。したたかお尻を打ったらしい。
「いたたた・・・。もう・・・、アリサったらぁ」
「ここから落ちてお尻打つのは日常茶飯事でしょう。大体パッと起きないシンシアが悪いのよ」
 本当に寝起きの悪いシンシアらしいし、いつもお尻を打ってしまうのもシンシアらしい。
「ぶー。アリサの意地悪ぅ!」
「はいはい。何とでも言ってください。わたしはお腹がすいたの。母さんに昼食作ってもらおう。ほら、お腹すいたでしょ?」
「べ、別に」
 ぐぅー。シンシアのお腹がなった。
 な、なんてベタな。
「ははっ。やっぱシンシアって天然キャラ」
「な、何よそれぇ。アリサってわたしのことそう思ってたの?!」
 心外だとでも言うように食いついてくるシンシアが何だかおかしくてたまらなかった。
 笑いのツボにはまっていて笑いがやまないわたしを、シンシアは最初は不愉快そうな仏頂面だったがいつの間にかそれも笑顔に変わっていた。
 このときは、笑顔が絶える日があることなんて想像も出来なかったし信じてもなかった。
 
 昼食食べ終わったら今日の予定はからっきし。シンシアも別の何かするらしくて、結局一人きりで散歩をしていた。
 この村に子供はいない。わたしとシンシアだけ。でもシンシアって不思議だ。だってわたしが小さい頃から、わたしが記憶がある頃からずっと歳をとってないように見えるのだから。皆、思い思いに色んなところで年月を感じさせる。でもシンシアだけは何も変わらないのだ。小さい頃にあの姿形であやされた記憶がうっすらとある。
 あーあ・・・なんかないかな。
「・・・あ」
 ふと思い出した。
 そうだ。今日は面白いことが一つあるじゃない。
 
 うーん・・・真正面から入るのはタブーかな。ファブも客の部屋に入れてくれなさそうだし。
 となると裏か。あの大きな窓、もうガラスで出来た扉って言ったほうが正確なぐらい大きい。ファブはあそこを空き部屋にしていた。ベッドも机も椅子もある。客を入れるというならあそこだ。
 木を伝っていくのが一番かな。村人に怪しまれないよう草むらから行こう。木登りなんてお手の物だし。
 そう簡単にばれたらわたしの名が廃るってね。小さい頃から特訓を受けてきたんだから。
 わたしは一番安全ルートを通ることにした。ファブの家は森林浴へ向かったほうとは逆方向だが、こっちから村を囲むように通ったほうが目に付かないから好都合だ。
「お、アリサ。今暇か?」
 げ。ロックオン。プラスムだ。斧なんか担いでる。完璧に薪割りの誘いだ。
「暇だけど暇じゃないんだ。また今度」
 表沙汰、かなりの演技だったと少し自信がもてるぐらい動揺はしてなかった。実際プラスムは「そ」と興味無さ気に言うとさっさと去っていった。
 溜め息をついた。安堵の溜め息ってこういうものなんだと身を持って改めて知った。プラスムはなんだかんだいって頭の悪い力がとりえのような典型的な人だから、・・・プラスムでよかった。変に感づかれると後々面倒だし。
 その後、わたしはより慎重に行動することを決めた。本当にさっきプラスムでよかったからって思える結果だった。まあ、結果論かな。
 その後もリスの物音に驚いたり鳥の巣を落としそうになったけど何とか無事にファブの家の近くまで着いたのは、計画を始めてから十数分経った頃だった。
 近づくたびに心臓が徐々に大きくなっているのを自分でも感じている。
 だって初めてなんだから。いつもこの村の人達だけしか回りにいなかった。だから。だから村の人達以外に会うということはわたしの中で非常に大きな出来事だ。
 ファブには心底感謝していた。だってこんな機会ないもの。
 一度こんなことがあった。わたしが小さい頃にちっとも上達しない自分に耐え切れなくなって無性にいろんなことに腹が立って、一度夜中にこっそり村を出ようとした時だ。村を出てしめた!って思った。でもしばらくしてスペルに呆気なく見つかってしまった。それも待ち伏せ。横からひょっこり出てきたのだ。何の気配も物音もしなくて、ただ腰を抜かしたわたしをスペルはずっと睨みつけていた。気まずい沈黙が流れて、わたしは正直に謝ったのだ。
 でも、あの時言われた。
『謝って済む問題ならいい。謝って済む問題じゃないんだよ』
 謝って済まない問題?そんなに重要なの?って剣幕に押されてさすがにいえなかった。わたしより5歳年上で、しっかり者の兄貴分のスペル。彼からはいつも剣を習っていた。わたしは一度も彼に勝てた試しがない。
 その後、スペルに引っ張られて連れ戻された翌日の早朝。さっそく母さんから朝食の手を抜かれ、父さんからはこっぴどく叱られた。今日は自分の部屋に入りしっかり反省するんだな!と。あそこまで怒った父さんは始めて見た。引っ叩かれた頬を手にしてわたしは言い返すことが出来なかったっけ。一日中村の人が詰め寄って来て馬鹿野郎とか罵った。異口同音のすさまじい嵐。結局、昼食も夕食も抜かれた。一日中なにも飲まず食わずだった。
 この一件以来、わたしは絶対に外に出なくなった。トラウマっていうものだと思う。
 同時にこの一件で興味心も薄れた。興味を持つと村の人が怖かったから。
 でも今はチャンスが向こうから飛び込んできてる。
 ピンチはチャンスに、チャンスは最大のチャンスに。
 心臓の高鳴りがどうしてもとまらなかった。喚起の鼓動がやむことを知らない。
 いくつもの希望が自分の中を駆け巡る。ここの近くまで来るんだから旅の者だろうか。戦士か、魔法使いか。何だろう。男かな。女かな。世界ってどれぐらい広いのかな。この村が小さいのか大きいのかさえわからない。
 木の枝の上でせわしなく指を動かしていた。考えるよりも早く見たほうがいい気がするけど。どうも興奮が収まってから見たいというか、心の準備というものがどうもほしい。
 でもここで立ち止まってるだけじゃだめだ。ここはしっかりしなくちゃ。さっきチャンスはチャンスにって心の中で思ったばっかりなのに。
 覚悟を決めたその時だった。
 がらっとガラス戸(やっぱりむしろこう言ったほうが正確である。ファブは窓と言い張るが)が開いた。
 ば、ばれた!?ガラス戸閉まってて音が大して聞こえないはずなのに?!ガラス戸を背にして木の幹も背にして足も小さくたたんで。一瞬慌てすぎて枝から落ちそうになった。
 でもやっぱりばれたと思ったのは勘違いだった。
「へえ。ピサロさんって農作業に興味がありそうに見えないけどな」
 アレはファブの声。ピサロ・・・?それが村に来た人の名かな?聞いたことないもの。
「うむ。まあ」
 ・・・え?今のが・・・村に来たってやつの声?ピサロってやつの声?
 いい声ではあると思う。でも何故か変になにかをを感じる。なんだろう。この声。聞いたことある声?いや、違う。
 わたしは知らず知らずの内に自分の腕を抱きかかえて震えていた。
 怖い。恐ろしい。
 どうしちゃったの。しっかりしなよ、アリサ!
 自分に叱咤する。
 まだ秋の初め。背筋に何かが走るなんて考えたくない。
 衝動も自分の中で走った。駆け回った。どんなやつ?わたしにこんなに背筋を走らせてるやつは。
 震える体を上手く動かすのは難しかった。落ちそうにもなった。
 ようやく向きを変えたときは幹にしがみついていた。
「これがキャム、これがナラッサーム。ってわかりますよね」
「うむ。・・・ファブ殿。わたしは一人になりたい故、少し退席していただけませぬか」
 野菜の説明をしていたファブに、男の声が重なる。
 やがてファブの気配が消えた。
 しばらく沈黙が下りた。
 ・・・よし!とわたしは決意する。でも沈黙が重くて何度も断念する。よし!と決意する。でも空気がずっしりと荷になり断念する。ループ。
 今度こそ!本当に決意した。今の自分を裏切ったら夕食なしよ!とかどうでもいいようなことを賭けて、ようやく視線を彷徨わせた。
 ・・・いた!
 全身ぶかぶかの黒いローブ。フードも被ってるから顔がよく見えないけど。さらさらの銀髪が見える。長身でスラリとしていた。
 どこかおかしいと感じたのは耳の辺りだった。フードを被ってるからよく見えないが、あのフードの形状だと・・・シンシアの耳みたいな尖ってる感じだ。
 そのときのわたしの状態は目を奪われたと言ったら頷ける。
 どこに目を奪われたかって。きれいとかかっこいいとか、そんな精神を持ち合わせちゃいない。
 “気”だ。皆必ず持っている気。彼の場合、人離れした気が常にあるのだ。妙な存在感を見せ付けてる。
 あそこまで気を張り詰めさせるにはかなりの腕前だ。本当に怪我をしてファブに助けられたとは思えない。
 キラリと彼の眼光が光った。気がした。同時にぞくっとまた恐ろしい感覚が背中を走った。
 何今の。彼のルビーのような瞳が収まれている目が、きれいなはずなのに空恐ろしい。でもわたしは彼への視線を外すことが出来ない。呪いのように。魔法をかけられたように。
 ルビーの眼光がわたしを捉えた。彼はフードを取った。
 ・・・やっぱり耳がシンシアみたい。最初に思えたのはそれだけで、すっかり見入ってしまった。見入ったって問題じゃない。目が離せない。彼のルビーの瞳から。鋭い瞳から。
 彼は不敵に笑った。最初は堪えていたようだが、次第に高らかに。気持ちが悪いほどエコーが掛かった。それは、自分の頭の中で反響しただけだったのかもしれない。こんなに大笑してるのに、誰も村人は気づかない。
《とうとう見つけたぞ!伝説の勇者よ!ふっふっふ・・・はっはっはっは!!》
 ぞくっとした。頭の中に声が届いた。通常ではありえない。しかもその声は澄んでる声のはずなのに普通に聞いたら澄んでるはずなのに、手先足先・・・ううん、体全部が凍りそうなぐらい冷気に包まれているような声。わたしは畏怖してしまった。怖気づいてしまった。でも、あの赤いルビーの瞳から目が離せない。
 颪(おろし)が急に吹いた。いつもよりかなり冷たい。まだ初秋だというのに、まるで真冬のような、おまけに粉雪が混じっていそうな風がわたしの髪をなぶるように吹く。
「わっ」
 思わず枝からズレ落ちそうになった。何とかとどまることが出来たものの、このせいでピサロとか言う人から目を離してしまった。
 え・・・?黒い・・・布?
 そう。黒いハンカチのような布しかなかった。それも颪に吹かれ、果てしない大空へと消えていった。
 彼は跡形もなく消えた。
 わたしに限りのない違和感を残して。
 
「ただいまー」
「あらお帰りアリサ。ずいぶん長い散歩だったわね」
「んー・・・ちょっと動物に絡まれたり神秘を感じたり・・・ま、いろいろ」
「ふーん。もうすぐ夕飯だからねー」
 ファブの家に行って例の助けられたとかいう人を見に行ってなんだかとんでもないことをしたような気がしなくもなくてその後また“ひみつきち”の藁で寝転がってたけど結局寝れなくて日が傾き始めたから帰ってきたなんてこと死んでも言えるわけがない。しっかりと言い訳をして自分の部屋へとさっさと逃げた。
 扉を閉めてすぐに扉を背に座り込んだ。足がすくんでる。
 何なの?あの男の、ピサロとかいうのは。
 怖気立ってしまった。小心者。自分に毒づく。
 でもしょうがないじゃん。あの殺気に近い気を見た?小心者の自分が弁解する。
 結局、わたしって何も出来ないんだな。
 反(そ)りが合わないのかも。わたしと決意というのが。相容れない関係というか。
 今日の過ちは確かに決意あってこそのものだったけれど、最後の最後で結局引っ込んだ。あり得ない。とんでもない。責任の取れないお調子者じゃないか。
 あーあ・・・時間を戻したい。戻して考えを変えて改めて過ちをなくしたい。
 一度自己嫌悪の渦にはまると、なかなか抜け出せなかった。
「アリサー。ご飯ですよー」
 扉の向こうで母さんの声がした。
 知らずに流れていた涙を手の平で拭って、息を吐きながら立ち上がった。
 いつまでも落ち込んでちゃ駄目。ね、悪いって思うなら同じ過ちを繰り返さないようにしなくちゃ。
 扉を開けると温かい食卓と暖かい母さんと父さんの姿があった。
「あれ、父さん帰ってたの?」
 さっきは母さんの姿しか見なかったような。
「とっくに帰っとるわい。お前、わしがトイレに入ってるときに帰ってきたじゃろうが」
「え?そうなの?今日は父さんが釣ってきた夕食?」
 テーブルには焼き魚がメインのように置いてあった。
「ああ。今日は身が詰まったのが釣れてな」
「確かに美味しそうね」
 わたしが椅子に座ると、皆が手を合わせた。
「それでは皆さん」
 母さんの掛け声。その後、全員が言う言葉は一つしかない。
「いただきま」
 ばんっ!ドアが壊れそうな勢いで開いた。そのせいで言葉が途切れる。皆の視線がドアへと集中した。
 ドアを開けたのは長老だった。
「や、奴らが!奴らが来たんじゃ!遂に見つかってしもうた!」
 やつ・・・ら?って?
「奴らって・・・?奴らって誰?」
 父さんと母さんに向いて訊くと、二人とも複雑な面持ち。悲しいような諦めたような怒っているような泣きたいような。
「そうか。・・・アリサ」
 父さんがわたしの名前を愛しそうに呼んだ。
「ねえ、奴らって誰なの?」
「魔物よ」
 母さんらしくない低い声が辺りに浸透する。
 ま・・・もの?魔物って、あの魔物?怪物のような魔物?
「な、何を言ってるの。母さん・・・」
 わたしは笑おうとした。魔物って・・・。子供騙しみたい。何を言ってるの。おどけて滑稽に言おうとした。
 でも皆真剣な顔だった。笑った顔が引きつった。
 ほ、ほんとなの?魔物の襲来というのは。
 じょ・・・
「冗談はよしてよっ。わかった。プラスムでしょ?プラスムがバラしたんだ。わたしの挙動不審なのを見て、み、皆グルでしょ!?わたしが変なことしちゃったから、わたしがいくじなしで無責任で小心者だから」
「アリサ!!」
 父さんが一喝した。今までにないぐらい厳しく険しい声だった。わたしは我に返ったように言葉を止めた。
「何の話かわからんが、今はそれどころではないんだ!さ、早く長老の後についていけ!」
 父さんがわたしの背を押した。力が強くて全く歯が立たない。
「アリサ!長老様の言うことをしっかり聞くのよ!」
 ほ、本当なの?現実なの?夢じゃないの?ううん。夢だ。夢であってほしい。
「さ、行くんじゃ」
 長老がわたしの腕を引っ張り始めた。体が家の外へと引っ張られる。
 長老ってこんなに力強かったっけ。というか今日は昨日の薪割りが響いたんじゃなかったっけ。あ。もしかしてそれはわたしの思い込みだったのかな・・・?
「か、母さんと父さんは?」
 引っ張られるだけ。父さんと母さんはわたしを、長老を追っては来ない。
 もう何だかんだ言って家が小さくなっていく。わたしは長老に問いた。
「お前を隠すために戦うんじゃ」
「な・・・?」何言って・・・?わたしを・・・隠す?「な、なんのためなの、長老!答えて!」
 意味がわからない。なんなのよ・・・!何が起こってるの?今どうなってどうなってどうなってこんな状況になってるの?
 でも長老は答えてくれない。わたしは急いた口調でもう一度訊いた。
「ねえ、長老っ!長老ったら!」
 でも答えてくれることはなかった。それよりもさっきまで歩きだったのが早足へ、やがて走りへと変わった。足は確実に見知った場所へと向かっていたのだ。
 剣の修行所。そこは冷たい地下室という場所の別名。
「はぁ・・・はぁ・・・」
 長老が肩で荒い息をしていた。というわたしもかなりつらい。
 最後のほうは全力疾走プラス階段を駆け下り躓(つまづ)きそうになったことが何度もあった。
「ちょ、長老・・・教えてよ。わ、わたしが・・・なんでわたしが隠れなきゃいけないの?!」
 ほとんど悲痛な叫びになっていた。自分でも驚くぐらい動揺していた。
「アリ・・・サは世界の・・・世界の希望なんじゃ・・・」
 息が落ち着く前に長老が喋りだしたからところどころかすれてたからよくわからなかった。・・・っていうことにしておく。
 なんだって?わたしは・・・世界の希望?
「え?な、なんて?何冗談言ってるの。世界の希望なんて戯言もところどころに」
「じょ、冗談じゃないわっ!」
 長老の叱声がこの地下室にエコーした。響きが消える前に長老はその大声のまま次々と言葉を放った。
「この村は勇者アリサを隠すために出来た村。天空人と木こりの間に生まれし者、勇者アリサを小さき頃からその器にはまるように育てるために神が授けてくださった村じゃ」
 え?ちょ、ちょっと待って。一つの単語に集中してて全部が聞き取れなかったような。
 
“ユウシャ”
 
 なんて・・・?ゆう・・・しゃ?“ユウシャ”って?何かずいぶん最近にどっかで聞いた気がする・・・。
 どっかで・・・。どっかで。
 
『とうとう見つけたぞ!伝説の勇者よ!』
 
 冷たい氷のような・・・いや違う。冷たい冷気のような声がわたしの頭の中でフラッシュバックした。
「ふ、ふざけないでよ長老。わたしはアリサよ。ちっとも勇者なんかじゃないわ」
 “ユウシャ”って?わたしは違う。勇んでなんかない。無責任で小心者で決意なんか持ち合わせちゃいないじゃない。
 それに、・・・え?天空人と木こりの間に・・・生まれた?
 天空人というのは時々シンシアが夢物語のように話してくれる。空の上にはお城があって、そこに住んでる人たちには白い大きな翼がついてるんだって。その人たちと天空人というんだって。
「それにわたしは・・・母さんと父さんがいるのよ。天空人と木こりってそんなわけが」
「アリサ!」
 また長老の声は周囲にエコーした。今日は何度一喝されただろう。長老はわたしの肩に両手を乗せた。
「現実は厳しい。お前さんの目には今何が映ってるのかわからん。魔法が使えないのもまだ神が真に必要だとお思いになってないからじゃ。いつかその澄んだ瞳に映るのは、何や計り知れんものじゃ。わしや村の人はアリサが大好きなんじゃ。わかってくれるな?」
「わ、わかんないよ!全部、全部わかんないよっ。何言ってるの?わたしも村の人が好き。だから、わたしだけが隠れるなんて嫌だ。皆も一緒に隠れようよ!」
「ならん。断じてならんのじゃ」
「な・・・何でよ、長老」
「わしらは神から授かりし使命がある。それは唯一つじゃ」
 長老はわたしの横を通り地下室の奥へと踏み込む。
 そこには壷が無数もある。もしもの非常の時に水が入っていたり、食べ物が入っていたり。動物の毛が入っていたりもする。
 長老は向かいから見て左側にある壷をどかしていった。もう歳なのに、軽々とだった。
 わたしが立ち尽くして見ていると、やがて壁だと思われている場所に小さな扉があった。実に薄そうな木の扉がついている。開ければ這って向こう側にいけそうな気がする大きさだった。
「命を張り命を盾に時に剣にして勇者を守らねばならん護衛として生涯を生きるという、な。他の情に流されることは許されておらんのじゃ」
 長老は壷をどかし終わると小さな木の扉を開けてわたしの背を押した。
「ちょ、ちょっと待ってよ長老!わたし
 ここで行き詰って言う言葉がなくなったのは、特に長老の言葉に否定する言葉が思い浮かばなかったから。
「とにかく時間がないんじゃ。・・・アリサ、命だけは落とすな。希望の光なのじゃから。さ、早く入るんじゃ。お前の気配で見つかってしまうぞ!」
 長老はわたしに有無を言わさずにさっさと行ってしまった。
 一体全体、何が起こってるの。頭が真っ白だ。真っ白だけど、一言一句が時々姿を現した。
 
 勇者
 天空人と木こり
 世界の希望
 神から授かりし使命
 
 現実なんだ。頭の中は現実が飛び回ってるのに、自分の存在が酷く夢のように感じられた。
 どん!と爆音。この地下室全体が大きく揺れる。何か大きないくつもの“もの”が地響きを立てて歩く。走る。振動がわたしと共にわたしの心も揺らす。
 絶叫が、悲鳴が、濁声(だみごえ)が、奇声が、罵声が、喚声が、悪声が、胴間(どうま)声が、鬨(とき)の声が、金切り声が、混じりに混じる。
 崩れる音が、壊れる音が、爆音が、矢の飛ぶ音が、岩の転がる音が、金属のぶつかり合う音が、地響きが、轟きが、火の爆ぜる音が哄笑するように止まない。
「アリサ!」
 立ち尽くしていると、シンシアが階段を駆け下りてきた。
「シンシア」
 この上もなく真剣な表情でシンシアがわたしの手をさっと掴んだ。
 細く白い指を持った右手が、わたしの左手を掴む。
 朱鷺(とき)色の髪の毛がいつになく絡まりが多い。
「何してるの!早く奥の部屋に入ってよ、アリサ」
 シンシアがわたしの姿を見るなり沈痛な悲鳴を上げた。
「え・・・あ・・・うん。・・・いや。嫌・・・嫌よ・・・」
 シンシアのものすごい険相に押されて肯定するところだった。慌てて言い直す。
「アリサ。頑なに拒まれても絶対に無理なのよ。お願い。生きるだけでいいの。村の人達は・・・違う。世界の人達がアリサがとにかく生きればまずいいのよ」
「嫌よ。嫌よシンシア。せめて貴女だけでも一緒に・・・」
 あの夢をいつか叶えたい。二人で外に出て旅に出るって。一緒に旅に出ていろんな物を見て色んな人を見て、笑い合って泣き合って喜び合って悔し合って。
「いいえ、いいえ。ごめんなさい、アリサ。無理なの。わたしにはしなければいけないことがあるの」
 シンシアが握り締めてる手を更に強くする。彼女は一続きの呪文を唱える。
 シンシアの姿がぼやけて尊くなった。ど、どっかで見たことがある。この感覚、この呪文・・・!
 
『アリサ、アリサ!』
『やっと覚えたの!』
『え?何を?』
『モシャス!自分の姿を変える魔法!』
『わあ!すごい!いいなぁ。わたしも早く魔法が覚えたいなぁ』
 
 そうだ!モシャス。変身する魔法。擬態魔法、モシャス。
 そう。わたしはシンシアのすることが不幸にもここでわかってしまった。
 彼女は勇者と呼ばれるわたしの変わりに、身代わりになろうとしてるということを。
 彼女はすでにわたしと瓜二つの姿に。双子でもここまで似てない。この村にバングとメガンという双子がいてそりゃもうものすごく似てるけど、今のわたしとシンシアじゃそんなの比にならない。
 だってあれは血の通いとかいう非現実的な問題だけどこっちは正真正銘の魔法。正しい道順どおりに唱えられて成立した、規則正しい道理にかなっている魔法。
「さ、早く!隠れて!隠れて生き延びて」
 わたしの姿をしたシンシアがわたしの左手の上に更に左手で握った。つまりシンシアの両手がわたしの左手に握られてる。
「シンシア・・・わたしも戦いたい。なんで?勇者だというならわたしが先導に立って」
 何言ってるんだろ。自意識過剰め。
 まだ剣の腕だってスペルのほうがよっぽど上だし魔法はまだ何も覚えてない。
 ・・・ははっ。“まだ”だって?自意識過剰にも程がない?
「いえ。アリサはまだ力が目覚めてないの。秘められた力。いつかよ。今の力では敵わない。だから今はなんとしてでも生き延びるの」
「でも」
「アリサ!」
 まるで鏡の向こうの自分が自分を叱ってるような感覚だった。扉を背にして自分の部屋で座り込んだ時も自分の中で二人の自分が言い合ってた。まさにそんな感じがデジャビュとして蘇ってきた。
 今日、自分の名前を何度こんな怒声で叫ばれただろう。
「お願い。これ以上、村の人を困らせないで」
 そうだ。困らせてばっかりだ。今わたしがシンシアや長老に反して外に出て殺されなんかりしたら多大な迷惑ったらない。足手まといなんだよ、わたしは。自覚しろよ。
 いや、自覚はしてる。でも怖いんだ。一人で取り残されるのが。取り残され震える自分が目に見えてしょうがない。
 自分が心底嫌い。弱くて一人じゃ結局何にも出来なくて、現実的に見ても酷くて剣も魔法もまだまだ。
「・・・わかった」
 そんなわたしが挙句の果てに出来ることって、心底自分な嫌いを改正していけばいいんじゃないの・・・?
 それが分からない自分は、きっと大馬鹿者だ。
 
「デスピサロ様ぁ!デスピサロ様ぁ!!」
 耳障りな金切り声で目が覚めた。あ、あれ。寝ちゃったのか。我ながらかなりのんきだ。だから自分が嫌いなんだけど。
 いた・・・。床に転がってたから体が痛い。ここどこだっけと思ったのは一瞬で。そっか、地下室の奥の部屋だっけ。出入り口は小さくて這わないと通れなかったけど実際出てみるとそうでもない。一室分ぐらい。三畳分ぐらい。
「勇者アリサをしとめましたぁ!」
 声が聞こえた。頭上から。
 ・・・え?わ、わたしを・・・?わたしを、しとめただって?何を言って――
 待って。・・・も、もしかして。
「うむ。で、屍(しかばね)はどこだ」
 この声・・・あの、昼間にファブで聞いた。頭の中に入ってきた声が、今は耳を通してちゃんと入ってきた。恐ろしく澄み、でも冷気が周囲を覆っている。まるで、彼の本意の姿が見えないかのように。
 デスピサロだって?ピサロじゃなかったの?デス・・・死・・・?
「はっ。そ、それが・・・橋の上でかの自爆呪文をもちいりまして、我らの軍勢も何十と息絶えて跡形もなくなっております」
「そうか。他愛無いな。たかが勇者。子供じゃまだまだ無力だったようだな」
「ははっ。退却いたしますか?」
「ああ。皆の者!!引き上げじゃぁ!今晩は酒盛りでも行おうではないか!闇が光に勝ったのだからな!ふふふ・・・はははっはっはっは!!」
 笑い声は地響きと共に段々遠ざかった。
 気味の悪い者達の歓喜の声に、わたしはただ歯を食いしばって聞き過ごすしか出来なかった。
 いつか絶対に、恨みは晴らす・・・!
 デスピサロ。まさにわたしにとって死神のようなものだった。ピサロじゃなくて、デスピサロ。まさにわたしの中に刻むのにはぴったりだ。
 完全に遠ざかったとみてわたしは外に出ることを決意した。
 でも・・・でも。躊躇してしまう。村の惨状が容易に想像できてしまった。それを見てしまったら空想なのが実在に、非現実なのが現実になってしまいそうで。
 足が思い通りに動かない。決意はやっぱり生ぬるく大したことがなかった。
 いつもそうだ。決意が揺らぐ、の前に生ぬるいんだ。微温なんだ。決意決意って、大したことない決意で詮(せん)ずるところ勝手気ままな思考だったのだ。
 もう嫌だ。そんなことで大切なものを失いたくない。
 わたしがあのピサロ・・・デスピサロとかいうのに会いに行かなければ。
 後悔は、もうたくさん。
 
 深海のように荒涼とした景色が目に飛び込んできた。
 颪に乗って血肉が腐乱したような臭いが鼻に十二分とした刺激を与えた。
 わたしは恐怖を通り越して立ち尽くしてるしか出来なかった。
 灰も颪に飛ばされ、黒いカスがいくつもいくつも宙に舞った。時に竜巻上になり沈みかけてる夕日が複雑な色に染めている。空を同時に染める。黒く、黒く。でも風に飛ばされてすぐに夕日が空を支配する。
 風がなぶる。村の悪印を吹き消す。
 わたしは、どうすればいい――?
 真っ黒な真っ白な、どっちとも見当がつかない渦がさっきからわたしの中で疼いてる。
 黒。村の人を殺した魔物たちへの復讐。
 白。村の人達の期待に答える自分。
 ・・・どっちにしても。
 わたしは戦わなくちゃいけない・・・。
 腰に下がっている剣を見た。いつも手放さずに修行を共にした鋼の剣。何があっても離すなと言われたのを自分は守っていた。
 鞘から抜くと毎日磨(と)いでいる成果なのか、夕日の光を若干跳ね返している。
 不意にトクンと心臓が鳴った。
「わたしが望んでいる剣は・・・こんなものじゃない」
 ・・・こんなのじゃ魔物たちを根絶やしなんて。黒の自分が言う。白の自分もそんな黒の自分をおだてている。勇者になることを望んでいた村の人達の期待に答えるのには、勇者らしくしろと。
 一瞬大きくなった心臓は正常に今は鳴っている。
 ここで恐ろしく自分がやけに落ち着いていることに気づいた。周囲を見ると酷い残酷な残骸が戦地跡だということを物語っているのに。
 ・・・そうか。目的を見つけてしまったから。
 わたしは剣を鞘にしまい、歩き出した。胸を高鳴らせて行きたかった村の外へと。
 でも、心臓はただただ正常で。
 ひょっとしたら正常だと思ってたのが異常だったのかもしれない。つまり“正常”だと考えていたわたしの脳内から狂ってたということだったのかもと。
思えたのはミネアという占い師とマーニャと言う踊り子に出会って経緯(いきさつ)を彼女らに話してるときに流した涙が、本当に正常だったと気づいた時がやっとだった。
 
 
 
 
 馬車が揺れる。わたしの心情を示しているように。
「ふむ。地図で見る限りは後少しじゃのう」
 今はどうなっているかという不安が、
「あー・・・。もう弔いなんて忘れちゃいましたよ、わたし。神官なんだから・・・堕天使じゃないんだから。ちょっとしか勉強してないんですよ」
 あれはやっぱり夢だったと言う希望が、
「うへぇ。自分が天使だなんてとんだ冗談を」
 今の自分は天にいる村人達にどう見えてるかとかいう緊張感が、
「あ、・・・あれでしょうか?」
 体中を貫きそうな胸の痛みが、
「なんだか瓦礫が儚い墓ように見えますな」
 全部、わたしの中で揺れ動く。
 
「な、なにこれ・・・」
「むごい。ここまで酷薄だなんて」
「わたしの鼻だけでしょうか?風に乗って変な臭いが・・・」
「血のようじゃ。腐朽した血肉のようでもあるな」
「何か肺でも患(わずら)っちゃいそうね・・・」
「魔物も勇者倒すのに必死だったんだな」
「違うでしょ。ただ単に手加減っていうのを魔物が知らなかったんじゃない?」
「んー・・・そ、そうかもしれんが。だからってここまでやるものなのか」
 やっぱりこのままだった。唯一変わってるところと言えば風雨にさらされた瓦礫が、火に燃え散った草木が年月を思い出させてしまうところか。
「アリサ?」
「ん?あ、なに?アリーナ」
「大丈夫?」
 心配そうにアリーナが私の顔をのぞいた。
「・・・うん、へーき」
 本当は平気じゃないけど、上辺の自分がそう答えた。
 いつも自分の中には二人の自分がいる。時に巧みに、時に不器用に現れる二人の自分がいいのか悪いのかわたしにはわからない。
 ただ、一人よりはいいのかなってなんとなく思う。
 そこにはわたしとシンシアの二人の影というものを想像してしまうからかもしれないという考えが掠めた。
 違うよ。悩めるのがいいっていう話だよ。悩めなくてぱぱっと選ぶよりは協調性があるのかもしれないって思った。
 でもこの考えを客観的に見たらどうなんだろう?
 やっぱり変かな。優柔不断って言われるかな・・・。
 
 仲間が気遣ってくれたのが嬉しくって、わたしは安請け合いをしてしまった。
 彼らなりの気遣いがわたしの心をやわらげてくれた。
『アリサ。一人になりなよ。あたし達は準備してるからさ』
『そうですよ、アリサさん。マーニャさんの言うとおりです』
『うんうん。こんなぞろぞろいたら思うことも思えないってね』
『これ姫様。王族らしからぬ粗雑な言葉を』
 っていう感じに。
 わたしは村から少し離れた思い出の場所へと足を運ぶことにした。
 “ひみつきち”。昔はそう呼んでいた場所に。魔物に襲われた後、一度も見ることはなかったから、今どうなっているのかさっぱりわからない。
「あれ、この辺だったような・・・」
 記憶を辿ってきてみると・・・、
「あー・・・ここか・・・?」
 今まさに立ってる所がそうだった。気づかなかった。それぐらい昔と変わっていた。
 先年転がっていたいたふかふかの藁ベッドはこの地独特の颪(おろし)により姿なんてどこにもない。大きな木の穴の中は動物や虫たちの住処に。その中にあった餌箱はすでに動物の子供たちに壊されている。木の上の小鳥小屋は地に落ちて無惨にバラバラになっていた。
「・・・だよなぁ」
 自嘲気味に呟いて大きく溜め息をついた。自嘲気味の笑みを漏らした。
 月日の流れはどう足掻いてもとめることが出来ない。取り留めなく続くその流れは川のようにせせらぎの音が耐えることを知らない。
 姿は変わった。もう昔には戻れない。
「あーあ・・・酷いことになっちゃって」
 わたしはしゃがみこんで砂を手ですくった。木々のせいで日光がシャットされるからか湿っている。
 もう・・・なにも思えないじゃないか。昔と変わらない場所なんて何一つなくて。
 わたしは・・・何を思わなくちゃいけないのかわからないじゃないの。どう感じればいいかわからないじゃない。
「あれ・・・?」
 ふと目に付いた。自然の一部とは思えない、白い物体。
 なんだろう。ほとんど地面に埋まっていてよくわからない。
 わたしは夢中になって掘り起こした。記憶が呼び起こされるような物だと感じたから。
「あ」
 これは・・・砂に汚れ水で湿っていて惨烈な状態でもわたしにはわかった。シンシアの、羽帽子。
 時の流れは残忍で、羽帽子と見れるのもやっとだった。
 ああ・・・シンシアの欠片に出逢えた。
 それだけで今日という日はいっぱいになった。
 
 あの日に見た夢。わたしだけしか叶えられてない。
 外に出て、旅をして。
 でも“二人で”旅は出来なかった。わたしの過ちのせいで。
 なんか、申し訳立たない。ごめんなさい。ごめんなさい・・・!
 謝ってすむ問題なんかじゃないけど・・・ごめん・・・。
 羽帽子に顔をうずめて、わたしはいつの間にか泣いていた。
 
 何だかんだ未だに過去に縛りついてるのはわたしだけなのかもしれない。
 
 でも、
 
 夢は永遠の夢のままだけど、何も昔に戻らなくてもいい。生きてるんだから。
 
 ほら、夏も終わりかけなのにミンミンゼミが元気に鳴いている。
 成虫で一週間しか生きない彼らも、幼虫であった数年の時を今このとき思い出しているのだろうか。
 
 

ドラクエⅣの数少ないシリアスシーン Part.2。今回は女主人公アリサ。男のほうと違ってそこまで暗くはないかもしれないなぁ。

自分の世界が完全に壊されるってどういうことだろうって思いながら書きました。

もし日本が戦争初めて、その場所が日本だったら・・・?日本でどれだけ犠牲者が出て、どれだけの人たちが身寄りをなくすでしょう。

No Border。このお話は戦争についての話ではちっともありませんが、一度“戦”について考えてみるってのもいいですね。

さて。話を戻して。このお話では、“二人の自分”が大きく関わってきます。アリサ=チイかと考えてなんとなく書いてました。

アリサ、自分に似てます。優柔不断なところとか後悔をよくするところとか。自分が嫌いなところとか。

そんなこんなで感情移入するところは私にとってはとても多いですが、皆さんはどうでしたでしょう?