あなたは だれですか?
自分はもう一つ
 
 アッテムト。信じられない村でした。春なのに、気配さえ感じられない。
 村の人に頼まれたんです。
 炭坑の中に指輪を落としたから取ってきてくれと。
 ということでしょうがなくわたしと姫様、ブライ様はアッテムトの山の中。
「くっさっ!うわぁ・・・酷い」
「外でさえ酷いのに、ここまでくると地獄ですね・・・」
「うー、寿命が縮まるようだわい」
 開口一番、口々に言ったこの炭坑の感想でした。
 しかもオマケに魑魅魍魎(ちみもうりょう)。
 エビルハムスター、トラ男、パンプドック、一つ目ピエロとなるものが出た。もっとたくさんの種類が出ましたが、そんなことを気にしてる場合ではございませんでした。
 もうすっかり姫様の手に慣れてしまった鉄の爪が敵を切り裂く。ブライ様のヒャダルコが敵を凍らす。わたしのマホトーンが相手の魔法を封じ込める。一つ目ピエロなど、使い物にならぬも同然でした。
 やがて階段を見つけました。更に臭いがきつくなります。ちょ、ちょっと吐き気がしてきました。
「それにしても指輪はこの階段辺りと聞きましたが」
「そのはずよね」姫様も頷かれました。「まあ、落とした場所なんて正確にはわからないはずなんだし、広い範囲を探しましょう」
 ということでわたし達はちょっと探す範囲を広げつつ、魔物に警戒しつつ・・・ガスの臭いも心内切言(せつげん)しておきます。
 しばらくしても全く見つかる気配はありませんでした。逆に魔物の尻尾を踏んだり引っ張ったりはありましたけど。その度にうんざり。魔物と打ち合い。
「姫様、ブライ様。そろそろ外に出ませぬか。ここに長いこといると体に良いとは思えませぬ」
わたしがくらくらする頭を抑えながら言います。目眩や吐き気も十分するような。こういうのは“するような”じゃなくて“する”か。
「もうすぐ精神力も尽きてしまいます。薬草も尽きたらそれこそここで野垂れ死に確定ですよ」
 姫様やブライ様も段々とその気持ちが出てきたのでしょうか。わたしの意見にいとも簡単に頷かれました。
「ここは瘴気が酷すぎるのう。頭がギンギンするわい。絶対寿命が縮んどるわい」
「ええ」アリーナ姫様も頷かれました。「一度出直すか。また次の日に・・・」
 そういいかけた姫様が顔色を険しいものに変え、さっと鉄の爪を構える。わたしに向かって。
 ・・・え?!
 後ろを見た・・・メタルスコーピオン!
 わたしは背中にある鉄の槍を抜こうとしました。でも目眩が、頭痛が、吐き気が・・・拒絶した。行動をとることを拒絶した。
「く、クリフト!」
 姫様が悲鳴を上げる。
 そう、尻餅をついてしまったのです。体が付いていかなくて、ペタンと。
「クリフト!!」
「ば、馬鹿者!!」
 もう何も行動できなかった。姫様の悲鳴が、ブライ様の疾呼が頭の片隅に流れてきてるのはかろうじてわかりました。
 一瞬で理解しました。どっかで毒を受けたんだ。
 いつかわからない。即効性ではなくて、晩成型の毒を。
 その毒とここのガスが混じって、わたしの体を蝕んだのだと。
 思えたのは、本当に一瞬で。
 メタルスコーピオンに攻撃されて体が軽々ととんで。
 ――頭を打った。
 
 蘭の花畑で栗毛のカールの少女が踊っていた。
 といっても不恰好な踊りで、とてもじゃないけど素人みたいでした。
 でもわたしはそんな彼女がいとおしいと、愛(いと)しい思った。
 なぜだろう?わたしはこの人を知っているのだろうか。
 見た感じは自分より少し若いかなという感じ。
 黄蘗色(きはだいろ)のワンピースのような服に、黒いベルト。中央にはよくわからない、見慣れない模様。
 黄金色のブーツに、同色のグローブ。花色のマント。花色のとんがり帽子とも言えぬ不思議な帽子。彼女はもしや旅人なのだろうか。
 その彼女がさっきまで手さえ届かなかったのに、視界に入らない所まで・・・遠く遠くと離れていった――
 
 目が覚めた。・・・あれ、覚めたってこんな感覚だったっけ。
「あ、気が付いた!じい!クリフトが気が付いた!」
「おお、おお!やっとかい。全くまだ嘴の黄色い奴め。世話を焼かせおって。あの後リレミトして、アッテムトじゃまともな治療が出来ないからと、ルーラをしたんじゃよ。全く全く。ルーラは非常に危険な魔法なんじゃ。まあ緊急事態だったからしょうがないがな。ここはエンドール。この方が治療師のハストさんじゃ」
「よろしくお願いします。治療師のハストと言います。単純な魔法しか使えないので、この診療所はそんなに儲かってないですけどね。ところで頭を強く打たれたようですが、大丈夫ですか」
「・・・」
「もし喋れるのなら、喋ってみてはくれませんか」
「・・・誰?」
 その言葉に、この場・・・病室らしき所にいた皆さんがはっと顔を上げました。さっきまでの笑顔が急に凍りつきました。
 っ!
 頭痛や吐き気というものが瞬時に来た。そして、その自分が発したはずの声に違和感さえ覚えました。
「やあねえ。何冗談言ってるのよクリフト」
 まるで自分が自分じゃないような・・・。
 ・・・自分?自分って、・・・自分?
 自分の両手を見て・・・あれ。見るってどんな感じ?こんな感じだっけ。
「わたしは・・・わたしは・・・何者なのですか・・・?」
 自分のはずの声が・・・多分酷く震えてる気がしました。
「え・・・く、クリ・・・ちょ、ちょっとまって!あんた正気?!」
 栗色の髪を持った少女が、ベッドに入って上半身を起こしてるわたしの体を揺さぶってきました。
「・・・っつ!」
 頭痛が最骨頂に達した。頭が痛いのに、この痛みは抑えられない。そうかこれは抑えられるものではなかったっけと思ったのは後の祭り。
 目を閉じ・・・また深い闇が訪れた。
 
 次に目が覚めたら今度は質問攻め。今度ははっきりと『覚めた』という感覚がありました。
「では、本当に自分がどういう者か理解できないのですね」
「・・・ええ」
「そんな・・・クリフト・・・」
 栗毛の少女が泣きそうな声を上げます。何故彼女はここまで悲しそうにしてるんだろう。
 近くにいた背が小さく緑色のローブを着込み、腰に大きな熊避けの鈴をつけてる老人が溜め息をつきました。
「これは、一時的なものなのじゃろうか」
 ルビー色をした瞳、ゆるやかなストレートの銀髪を赤いリボンで結び・・・それで白衣が似合う不思議な長身の男性が首を傾げる。さっきからわたしに、悲痛な質問ばかりをしてる者です。頭が痛いですかとか、他にどこか痛みますかとか、自分の名前など思い出せますか、とか。
「おそらくは。ずっとと言う可能性もなくはないのですけれど」
「あの・・・」
 わたしがおずおずと切り出すと、栗毛の少女がぱっと顔を輝かせました。
「な、何か思い出したの?!」
「い、いや。その点は特に何も。ただ、わたしの名前だけでも教えてくれないかと。さっきから連呼してる『クリフト』というのがそうなのですか」
 前文を聞きがっかりしてた栗毛の少女が『クリフト』という言葉を出すと、しきりに頷きました。
「ええ。あんたの名前は、クリフト。クリフトよ・・・」
 そう言うと栗毛の少女は病室を出ました。その背中はなんだかやりきれない感じ。
「・・・わたしは彼女に・・・記憶がなくなる前になにかしたのですか。彼女が揺らいでるのを見ると、何か思い出さなくてはいけないと・・・頭が言うのです」
 そう。さっきから、ずっと頭痛がしてる。頭が痛くて視界さえぼやける。このまま眠ってしまえば、多分楽なのだと思う。でも・・・思い出したい。時間を無駄にしたくない。
 銀髪の男性が、困ったような笑顔で言いました。確かハストといったっけ。
「無理に思い出そうと思わなくていいのですよ。・・・ただ、ええ」
 そこで一度言いよどんで、
「とりあえず、こちらのブライさんから話を聞いてください。わたしには、過去の話はわかりかねます」
 銀髪の男性もさっき栗毛の少女が出た出入り口のドアをゆっくりと開け、ゆっくりと閉めました。
 この病室は本当にちゃちな個室で、ベッドのすぐそばにはこの病院の庭を見渡せる絶景ポイントだろう窓がありました。今はその窓も開いていて小鳥のさえずりが絶えず聞こえます。風が唸る度に階下の花が吹雪へと変わりました。
 ブライ・・・この小さくて髭ばかりの枯れた爺様でしょうか。緑のローブが良く似合う。
 彼が庭を見ていたわたしの背中に向けて溜め息をつきました。・・・喧嘩ですか。
「クリフトよ」
 ブライさんがそう切り出し話題へと移ります。
 わたしはサントハイムという城に仕えている神官で、アッテムトという鉱山でめたるすこーぴおんというのに攻撃されて頭打たれてそのままだとか。
 後・・・わたしはさっき悲しそうに出た栗毛の少女のことを好いていたと。栗毛の少女はサントハイムの王女らしい。
「名はアリーナ。アリーナ殿下じゃ」
 その名前さえ、わたしは何も感じなかった。本当に彼女を好いてたのだろうか。彼女は、わたしのことは好きなのだろうか。
 それからどんな昔話を聞いても別次元の話のようでした。
「あの・・・ブライさん・・・でしたよね」
「え、あ、ああ。そうじゃが」
 急に思い出話を断じて悪い気はしたものの、これは訊かずにいられませんでした。
「あの・・・。わたしの家族は。こういうとき、来れないにしてもなんらか情報があるものだと」
 そういうと彼は顔を曇らせました。・・・まさかとは思うのですが。
 わたしの家族は・・・もう?
「そなたは何も知らずとも良い。それより、ほかの事を本当に何も思い出せんのか
 無言でこくりと頷くとブライさんは低い声で唸りました。
「まあ、そう急がずとも良い。今は怪我の治療に専念せい。そうじゃ。ホイミは覚えておるか」
「ほいみ?」
 平然と聞き返すと彼はそうか・・・と呟いた。
「ホイミは治癒呪文。まあ、近々思い出すじゃろう。記憶を失ったからとて魔力を失ったとは思えぬ」
 そういい残すと彼もこの病室を出て行きました。
 急に訪れた静寂が幾十にもわたしの体に襲い掛かってきてるようでした。
 とりあえず、寝ろと。
 
What know?
 
 次の日・・・らしい。
 言語は覚えてるのに知識もそれなりにあるのに、どっか抜けてるところがあるようで朝昼晩というのがわたしの頭の中で定着はしてませんでした。
太陽が昇り始め沈み終わる・・・人が基本的に起きて暮らす時間帯なのだそうで。
 月や星が空にちりばめられた頃、人は寝るという行動へと移るそうなのだ。
 朝一番、鏡を見せられた。鏡は覚えてる。その面を境に全てのものを左右対称に映すものだ。
 既視感(きしかん)を感じました。そりゃそうか。記憶を失ったからと言ってそれは果たして本当になくなったわけではない・・・はずなのだから。むしろなくなってないと信じたいぐらいです。栗毛の少女・・・アリーナ殿下とブライさんはわたしと共に行動をした身だそうで、早く思い出さねばならないと。常にそう思ってるつもりなのですが。
 でも思い出せない。全くというほど。
 それは自分の顔を見たときもそうでした。
 どこか他人のよう。藍色のおかっぱだけど今は過半は白い包帯が巻かれてる。そして髪と同色の瞳。決して良いとも悪いともいえない顔立ち。着替えされただろ乳白色の寝巻き。
「んー・・・」
 試しに笑うと、鏡の向こうの自分も笑う。かなりいびつな笑い。まだ笑うという感じが良くわからない。辺に意識するとどうも無理なようで。
 瞬きをすると多分鏡の向こうの自分も瞬きした、はず。して気が付いて、瞬きした向こうの自分など目をつぶってるのだから見れるのではないということを思い出した。
 鏡を持ってきたハストさんという治療師が例の如く訊いてきました。
「ゆっくり寝れましたか?」
「ええ。恐らく」
 手鏡から顔を起こしまだ眠い瞼をこすりながらわたしは答えました。
 ここは夕日が見えるぶん、朝日というのは見えないのだそうです。と言われてもよくわからないのですけどね。
「ところで何か思い出しました?」
「いえ」
「そうですか・・・ではもう少ししたら朝食ですので少々お待ちにしてください」
 手鏡を置いて彼は部屋をそっと出て行きました。清楚で純美な銀髪を見て、違和感を覚えました。あ、そうか。結ってない。
 やがて静かに扉が閉まると白いふかふかの布団にわたしはもぐりこんだ。
 髪の毛を強く両手で掴んで自分の頭を強く押す。頭の中の痛みが頭の外の痛みと同じぐらいになった。これは気が楽になったのか気が重くなったのかわからないが無意識のうちだった。足を折り曲げて時々伸ばしたり呻き声も全部無意識。
「・・・はあ、はあ」
 暗闇の掛け布団という洞窟の中で暴れに暴れ、でも何も思い出せなかった。
 思い出そうとすると黒い靄(もや)が自分の中で邪魔する。
 真意が明滅してる。いきなり暴れていきなり沈んで、まるで気まぐれな海。
 その海の底に、記憶という宝船が沈んでたりするのだろうか。
 『クリフト』という、何ものにも変えられない・・・宝を積んだ、まだ生きてるだろう船が。
 
「クリフト!起きて!朝食よ!」
 布団にうずくまってる状態で、上からバシバシと何かで叩かれておきました。
 あ・・・寝てしまった。もう少しで朝食を持ってくると言われてたのに、すっかり寝てしまったようだった。
 ふわふわの白い掛け布団を上半身分ゆっくりと剥いで、わたしは体を起こしました。ゆっくりとはいえ体を起こすのはやはり色々と痛いもので。体の節々が痛むと共に頭痛もしました。
 こめかみを押さえながら咳をすると側にいた栗毛の少女が悲鳴を上げました。昨日の・・・そう、サントハイムという国の王女様アリーナ殿下。わたしが純愛してたという。昨日のブライさんの話、愛し合ってる・・・つまり落花流水(らっかりゅうすい)ではないそうだ。一方的な想い。つまり胸を焦がしているという・・・?
「えっと・・・どうなされましたか?」
 昨日の会った時は王女様などと知らず軽い口を利いてしまったことを後悔しつつ、今度は言葉を選んで開口しました。
「クリ、そ、その両手・・・」
「え?」
 言われて、両手を見ました。数本、二十数本の藍色の髪の毛が両手に巻きついていました。多分・・・あの時ぎゅっと頭を抑えた時でしょう。
「あー・・・」
 よくわからない平坦な声を出しました。
 ・・・どんな感情を持てば、正常なんだろう。
 正常って何・・・?
「と、とにかく。今から朝食だから手や顔を洗いましょう。一応・・・昨日見た感じ足は擦り傷切り傷程度だったから・・・歩ける・・・よね?」
 乳白色の寝巻きの裾の方をめくって両足を見ると、無数ほどではないがかなりの傷があった。擦った後、切った後。後は理解できない。一番大きいのが右足のふくらはぎの途中から踝(くるぶし)にかけての切り傷でした。それでも、そんなに酷くはなく紙で切ったよう。ひょっとしたら昨日ブライさんが言ってたホイミというものを、あのハストさんという方がかけてくれたのかもしれません。
 魔法・・・ちょっとは覚えてます。精神を使い、神秘の力を操る術。でもどんな魔法があるかまるっきり憶えてません。ホイミ。名にピンとくる・・・こなきゃいけないはずだけど本当に何も感情が来ない。
「クリフト、は・や・く!朝食のご飯が冷めちゃうから!」
 そう言って黒毛の少女・・・曰くアリーナ殿下がわたしの腕を引っ張って布団から引き摺り下ろしました。たたらを踏みながらも洗面所に先導されつつ、髪の毛が手に絡まりついたまま手を洗い冷水で顔を一洗い。洗ってから髪がつまらないだろうかと心配したけどもちろん後の祭り。えんやこらえんやこら。まあいいか。
「ほらほら、一緒に朝食食べるから早くして」
 また腕を引っ張られつつ部屋を出て右に曲がり、すぐ隣の部屋へ。さっきと何の代わりのないようなドアを彼女は開けました。
 ドアは同じなのに部屋の大きさも同じなのに、中身はぜんぜん違う。目立った白いテーブルには食物、サイドに背もたれがある白い椅子がいくつか。手洗いの場所もわたしが寝てた部屋と多分左右対称。そう、鏡みたいな。でも窓から外を見れるのは全く変わりない。
 白い椅子には長身痩躯の銀髪の男性と、緑のローブの老人。ハストさんとブライさん。
「遅かったぞい。クリフトめ、姫様に迎えていただくなぞ・・・頼りないのう
「あ・・・そ、そうですね」わたしがしきりに頷く。アリーナ殿下に向かって礼をした。「わざわざすみません」
「やっ。そんなことはいい。爺も余計なことは言わなくていいの!わたしが勝手に飛び出して呼びにいったんだからさ。待ってるほうが嫌だわ。性に合わないもの」
「もっともじゃな。姫様らしいわい」
 ブライさんが大笑しアリーナ殿下もそれに釣られてふっと笑みを漏らしました。
 姫様らしい・・・?普通、お姫様と言うのはおとなしく清楚なものなのではないのか。
 疑問を押しとどめるのはごめんだった今は近隣のことをもっと把握しておきたくたまらず訊いた。
「それ、概念っていうんだよ」アリーナ殿下が大きく溜め息をつかれた。「姫がわざわざ清楚にするなんて誰も決めたことじゃないし。性(さが)がこんなんだから、どうもおとなしくしろなんて無理。わたしは体を動かすのが一番だもん!姫だから、姫じゃないからとか・・・わたしは気にしなくない」
「こら姫様」ブライさんが叱咤しました。「そうお思いにならなくても仮にも姫と言う身分に生まれてしまったからには、それなりの役目を果たしてもらわねばならぬのですぞ」
「わかってるよ」アリーナ殿下が口を尖らせました。「でもねぇ」
「姫様」
 低く牽制したような声で、ブライさんがアリーナ殿下の声を制止させました。アリーナ殿下は言おうとした言葉を飲み込み、わたしの腕を離して(つまり今まで掴まれてた)ずかずかと椅子に座りました。
 4つあるうちの右奥にアリーナ殿下。右手前がハストさん。左手前がブライさん。
 わたしは残ってる左奥の椅子におぼつかない足取りで歩きゆっくりと座りました。まだ歩くという感覚がよくわからない。どうも足元がふらついてしまうし、歩くと足のあちこちが痛む。傷々が悲鳴をあげた。
「クリフトさん、箸の持ち方などは」
「・・・覚えてます」一応。多分。なんてことばが後につく言葉は心の中で。
「良かった。それだけ訊きに来たんですよ」
 そういうとハストさんは立ち上がってドアに手をかけ、出て閉める直前で声を掛けてきました。
「朝食食べ終わったら言ってください。下げに来ますので」
 静かにドアが閉まった。一時の静寂が舞い降りてきました。
「さてと。爺、窓開けてよ。初夏締め切った部屋で朝食なんて、わたしはごめん」
「わしもごめんじゃのう。ここはいつも率先してクリフトがやるものじゃが、今しがたはどうにもらんのじゃな」
 い、今の言動・・・わたしは雑用係みたいなものだったのでしょうか。わたしはブライさんが窓を開けてる間にアリーナ殿下に訊きました。
「いや、違う。わたしや爺が言わなくても自分の力で行動しながらも、わたしたちのことを気遣ってくれたわ。わたしの数倍も数十倍も知識があって、魔法もドンドン覚えてさ。ま、とにかく犬みたいなもんではないと思う。猫と犬の中間と言われると何となく納得が行かなくもないけどね」
 気遣ってた・・・わたしが・・・?
 そりゃそうか。この中で身分が一番低く若いというのもある。
 今、わたしはどちらかというと気遣われてる。いや、どちらかといわなくても気遣われてる。能のない犬。時々暴れる馬鹿犬。それとも何も出来ぬ赤ん坊。
「すいません・・・。何も出来なくて」
 なんだか本当にすまない気持ちになって、気付けば謝っていた。
 窓を開け終わったブライさんが改めて椅子に座る頃だった。アリーナ殿下が驚いたようにわたしを見たのが、俯いててもわかった。
「何言ってるの。いつも世話焼かれてるんだから、たまには焼かせてよ」
「でも、貴女はお姫様でしょう。部下のことなど気に病むことはありませんよ」
「だから言ったでしょう?姫なんて関係ないわ。自分の気持ちに逆らって身分の流れに従うなど、わたしはわかりかねる」
「こほん」ブライさんがわざとらしく咳払いをした。「とりあえず朝食を頂きませぬか。わしは腹が減りましたぞ。姫様とてさっきから騒いでおいたではありませぬか」
「そ、そうね。では、頂くとしましょう」
 そう言ってアリーナ殿下が箸を持ち左手で茶碗を持った時。
「ちょ、ちょっと待ってくださいアリーナ殿下」
そう言ってアリーナ殿下の左手から茶碗をとり元の場所に置きました。我ながら何をやってるんだろう。でも、これはしなくちゃいけないような。
「箸もおいてください。食べる前は必ずたくさんの人に感謝の気持ちを思わねばいけないんですよ。食べる前に祈って、ここまで来た過程を思い浮かべながら」
「はあ?そうか。いつもの“祈り”?もう・・・変なことばっかり覚えてるね。信仰心だけは無駄に覚えてちゃってさ」
 信仰心・・・。これは信仰心なのか。
 信仰心は何かと訊くと、
「神に仕える気持ちよ」
 わたしはサントハイムに仕えてる神官ではないのかと訊くと、
「ま、そうなんだけど。神にも仕えてるってこと。うーん。爺、パス」
 いつの間にか先に朝食をとっていたブライさん(老人のくせに油断ならない!)にアリーナ殿下は話す役目をタッチして朝食を食べ始めた。そらもう凄い早さで。相当お腹がすいていたのかもしれません。なんか悪いことしました。
「ほお・・・まあ。あれじゃな」ブライさんが口の端にご飯粒をつけながら箸と茶碗を鳴らしながら適当に意味のない相槌を打つ。
「神に仕えるのと、また城や何かに仕えるのとは違うわい。宗教関係だと神がどーたらとかあるがの」
「は、はぁ・・・?」
 言われても全くわからない。その辺は複雑なのでしょうか。
「ま、ともかくじゃな。今は飯じゃ。静かに食うものじゃろうて」
 あっさり質問攻撃がかわされたまま、朝食を始めた。
 
 庭に咲く花々が、散り行く。運命の如く。
 いまだに全く何も思い出せなかった。
 歯がゆい。何も思い出せずただ寝てるだけなど。
 わたしはハストさんを呼んで外に出ても良いですかと訊きました。まだ頭の包帯は取れてなく、頭痛から吐き気もくる。
 でもそれ以上に気持ちが強かった。動きたくない寝たいという気持ちより思い出したいという気持ちのほうが数倍も数十倍も。
「まだ完全に回復したわけではないので・・・そうですね。包帯をつけたままというのもあれですから、この敷地内なら宜しいですよ
 晴れて許可ももらい、わたしは綺麗に整備された花壇を歩くことが出来た。足の傷はほとんど治った。ホイミという神秘の力のおかげだろう。
「あー・・・」
 目の端に花びらが映った。空へと舞ってやがて見えなくなる。
 わたしは本当に何がしたいんだろうか。この診療所に留まってるだけでいいのだろうか。
 歯がゆい。わたしは膝を抱え込んでずっと花を見つめてました。
 静かに風がそよぎまた花が幾つも散った。花畑から散る花びらは無数のようで、減っても減っても減ってる感じがしない。増えもせず減りもせず。何の変化もないよう思えた。
 記憶が戻ったら・・・わたしは、この景色をどう思うのだろう。
 知らず知らずのうちに、地面に一粒の雫が零れ落ちた。それも乾き、自分の存在が軽く感じる。
 わたしは、わたしは・・・本当に誰なのだろう。
「あれ、クリフトじゃない」
 この声は。ピンと来た。昨日からずっと頭から離れない声だ。
「あ、アリーナ殿下・・・」
 急いで目を擦って、わたしは思わずしゃがみこんだまま背を向ける。
「ごめん。悪い時に来ちゃったかな」
 控えめにアリーナ殿下が声を掛けてくる。静かに胸の奥に染みるその声は、けれど今のわたしの悲しさを増倍させた。
 今のわたしはこの人を悲しくさせてしまう。この人が悲しくなるとわたしももっと悲しくなる。悪循環。
「い、いえ。それより、何でしょうか」
 わたしは自分の気持ちに蓋をして、改まった声を出した。それでも多少は涙ぐんでる感じになったが。
「いや。動けるようになったのなら、少し町のほうを歩いてみようかと・・・。でもそうだよね、まだ頭が完治ではなかったっけ。いいよ、気にしないで」
「いえアリーナ殿下」わたしはようやく頭を起こした。「行きたいです。同行させてもらえませんか」
 アリーナ殿下は大変驚かれた様子だった。予想外の返事たっただろうから。
 アリーナ殿下は一瞬考え躊躇(ためら)い、でも頷いてくださった。ただアリーナ殿下から決して離れることないようという条件付きで。
「後さ、クリフト」
 アリーナ殿下が更なる条件を足してきました。
「その『アリーナ殿下』って何?元のままで呼んでよ」
「元のまま・・・とは?」
「爺と同じ呼び方」
「爺?ああ・・・ブライさん・・・」
「ほら、それも!」
 それも?
「前は・・・じゃなくて本当はブライさんじゃなくてブライ様って呼んでた。わたしのことも・・・うん。爺と一緒。爺がわたしを呼んでるのと同じ呼び方してた」
 ブライさんじゃなくて・・・ブライ、様?
 もう自分の中で今ひとつピンと来ない。もうすでに自分の中で定着してしまってるのかも知れない、ブライさんというのが。
 それに・・・そのブライさんがアリーナ殿下をどう呼んでいたっけ。
 アリーナ殿下は絶対違うよな、話の流れからして。
 アリーナ姫様?いや、名前の部分はないような。
 じゃあ・・・姫様?
 そうだ。姫様だった。ブライさんはそう呼んでたはず。
「ひ、姫様・・・というのでしょうか」
「それそれ!ずっとそれで呼んでてさ、それで呼んでくれない?変に感じるから」
「は、はぁ・・・じゃあ、姫様」一息ついてから「同行させてもらっても良いですか?」
「もちろん!」
 二つ返事で姫様は返事をしてくださった。
 
嫌いではないから
 
 ハストさんからほぼ無理やり許可をもらい、エンドールを多少歩く許可をもらいました。
 エンドールの町並みと言うのはかなり人が行き交っている。ごみごみしていて肩と肩がぶつかり合う。たくさんの価値観を持つたくさんの人間がいた。たくさんの店があってたくさんのものが売られていた。
 わたしはいつも来てたという神官服を着せてもらいました。緑の服。明るくもない清楚な色。もちろんのことサイズはぴったり。腰にはサントハイムの紋章が刻まれてるベルト。サントハイムの紋章を見ても、やっぱり何も思うことはありませんでした。
 頭の包帯も取ってもらいました。神官帽子というものは重くて残念ながら被ってないですが。あんなの被ってたんですねと意味なく関心。
「あ、美味しそうな飴売ってる。じっちゃん、これいくら?」
 姫様が近くに構えてる店の小父さんに声を掛けました。40代位でそう髪が豊かでは・・・な駄菓子屋の男性に。
 姫様は姫様で一国のお姫様とは思えぬ言葉使いです。う~ん、本当にこの方を好きになったのでしょうか・・・わたしは。
「その飴は3ゴールド。彼氏の分入れて6ゴールドだ。買ってくか?」
 か、か、彼氏ぃ?
「んじゃあ、いただくわ。じっちゃん、こいつは彼氏じゃなくて道連れよ」
 さりげなく姫様は否定。やっぱりブライさん・・・様の言ったとおり、わたしのことを彼女は好きではない。一途な思いをわたしは内に秘めていたというのは本当のようです。
 でも今わたしが思うに・・・好くという感情はあまり出ない。一国の王女として敬ってはいるけど、どうなんだろう。武道家の姫というのは、わたしは。
「あ、あの。アリー・・・姫様。わたしは飴など要りませ・・・ぶ」
 棒つきの飴が講義していたわたしの口にパクり。途端、甘い葡萄の味。
「遠慮しないの。3ゴールドなんて安い安い。魔物倒せばいくらでも儲けれるんだから」
「魔物?魔物とは、なんなのですか?」
「あ、それまで忘れちゃってるのか」
 姫様は大きく溜め息をつかれた。しょ、しょうがないではありませんか。反論しようとしたが、それより好奇心のほうが強い。
「魔物ってのは簡単に言うと敵、かな。中には敵じゃないのもいるけど」そこでご自分が持ってる紫の飴を少しだけ舐め「人間に対して悪いこと考えようとしてる生き物って言えばわかるかな」
「うーん。盗みを働いたり環境を破壊したりとかでしょうか」
「ちっちっち。そんな生温(なまぬる)いもんじゃないわよ。いつも人を襲うものばっかり。命を落とす人だって少なくないの」
「え」
「だからほら。武器屋とか防具屋とか道具屋とか万屋とかがあるわけ。人同士の戦争のために売られてるんじゃないの」
 確かに。この大通りを軽く見るだけでも武器屋や防具屋がすぐに目に付きます。
「そうだ。クリフトが持ってた鉄の槍・・・あれ、使い方覚えてる?」
「鉄の槍、ですと?」
 槍というのはもちろん覚えてる。柄の長い武器で先端は鋭利な刃。鉄の槍というのだから無論鉄出てきてるのだろう。
「わたしはその鉄の槍というのを使って魔物と相対していたのですか」
 姫様は葡萄味の飴を舐め、
「まあね。だからってクリフトはそればっかり振り回してたわけじゃないわ。魔法を使ってた」
「魔法・・・」
 心臓が脈打った。魔法は今でも使えるはずだと言うように鼓膜に響いたわけではないのにしばらく耳に残りました。
「わたしは・・・どんな・・・、どんな魔法を使っていましたか?もしかしたら、今使えるかもしれません」
「えっ」
 姫様は驚いて飴を落としそうになりました。そして自信無さ気に、
「もしかして記憶戻りかけてる?」
 とおっしゃり少し嫌悪感とか罪悪感とかが体内で蠢きました。姫様に無駄な期待をかけさせてしまったのです。
「いえ」姫様ががっかりなさられてもわたしは続けた。「でももしかしたら、今は魔法と言う神秘の力が使えるかもしれない。体の中が言っているのです。出来れば、早く。次の機会がいつかわからないんです」
 体の中が静かに温かく脈打ってるのを、わたしは感じ取っていた。なにものにも変え難い・・・この温かさは尋常のものではない。
「そう。じゃあ試そう。こんな道の中心で話すのはあれだから道端に行かない?」
 飴を片手に持ったままわたしは引っ張られるまま裏道に。
 左右にある店が日光を遮断したこの区域は、スラム的なものなのでしょうか。乞食(こじき)みたいな人々さえいる。悪人面した人さえいる。
 中でも一番哀れに見えてしまったのが、何の布かもわからぬものを床に敷いて何の布かもわからぬ既に赤茶けた服とも言えないのを纏ってる母子が寝ていたのです。
「クリフト?どうした?」
 わたしは自分の手に握られている葡萄味の飴を見ました。まだ大して舐めてない。姫様に無理に口に放り込まれた時とその後2回ほどしか。
 わたしは決意をし姫様の手を丁重に離して母子に近づきました。母親が子供の体を守ってるように寝転んでいました。
 寝ていたというのは傍から見たらというだけで、転がって目を瞑っているだけでした。わたしが近づくと一瞬体を震わせながらも必死に目を瞑っていました。ひょっとしたら“敵”だと思ったのかもしれません。
 スラム街というのは治安が悪いところが多い・・・ということはどことなく覚えてます。その治安の悪さから暴動など絶えず起こって弱肉強食の世界と化してるのかもしれません。
「お母さん。わたしはあなたを働かせようとしたり何かを奪ったりする輩ではありません。あなたに恵もうと思う者です。どうぞ、目を開けて受け取ってくださいませんか?」
 いかにも善良そうな人の声でわたしは言葉を選びながら声を掛けた。
 それでも母親は目を開くことは愚か、更に強く瞑った。子供を抱く手も殊更(ことさら)強くなった。
 多分こういう所にすんでいると。周りの信憑性など欠片もないと。誰に対しても警戒心を見せるのかもしれない。
 でも子供は本当に寝ていた。強く抱き、母親は子供を起こしてしまった。
「・・・ママ?」
 それは女の子の声だった。驚愕した。男女見分けがつかぬ姿だった・・・むしろ男の子に見えなくもない外見だったから。
「お母さん。お願いです。わたしはお金など持ってないのですが、この飴玉なら恵むことが出来ます。どうか、受け取ってください」
「ちょっとクリフト・・・」姫様が何か言おうとしたが口をつぐんで「・・・じゃあ、わたしもあげる。一人一個になって、満足でしょう?」
「ママ・・・飴玉舐めたいよう」女の子が母親を揺らしながら呼びかけました。「そんなに怖い人じゃないよう?」
 女の子が必死に呼びかけると、やがて母親の抱擁の手が緩まったと同時に彼女の目がゆっくりと開いた。ゆっくりと体を起こしてそれから・・・ええ?わたし達、土下座をされるぐらいのことはしましたでしょうか?!
「申し訳ありません。ここに住んでいると人間不信になってしまうのです。本当にその飴玉を下さるのですか・・・。この何も持ってない乞食のような・・・いえ、乞食親子に」
 その声は本当にか細い。どこも華奢な体格で虚弱なのは一目瞭然でした。ああ・・・こんな人は、世の中にたくさんいるのでしょうか。
「当たり前です」わたしは言いました。「そういう人こそ助けるのが人情ってものなのですよ」「そうそう。弱ってる人は見捨てられないってね」
 姫様は有無を言わさず拝む母親の手に飴玉を握らせました。ついでに一瞬気を抜いていたわたしの手から飴玉を掻っ攫い(かっさらい)母親のもう片方の手に握らせ、わたしの腕を掴んで逃走すると言う・・・刹那にその作業をして見せました。わたしはたたらを踏みつつも引っ張られるまま。
 
「おお!・・・このついでに記憶など戻っとらんか?」
 変わらずブライさん・・・ブライ様はブライ様だし、アリーナ殿下・・・じゃなくて姫様は相変わらず姫様。起きた時と変わらぬ記憶だけが頭に焼き付いて、他に何も見えない。二人以外の旧知の仲の者は誰一人思いつかなかった。
「いえ」
「そう。でもホイミが使えるってのは凄い進歩よ!」
「ま、気長にやるしかあるまい。ハストさんとおぬしのホイミで早う自分の傷を癒せ。それからまた快速で旅に出れるようどうにかせい」
 そう言ってこの診療所の今はわたしの部屋から、ブライ様と姫様が出て行きました。
  はぁ・・・。
 時々意味もなく疑ってしまう。
 もしかしたらわたしは騙されてて・・・あのブライ様と姫様は騙しているのかも。
 いや、それはないような気がする。騙すにはわたしを知りすぎてるような。でも事前にわたしのことを調べ何か手口を使い記憶を失いさせ・・・十分にそれは考えられるけど。
 でもわたしが最初に起きた時のあの喜びよう、わたしが記憶を失ったといった時の悲しみようはどう見ても演技ではない。演技だとしてもプロ過ぎる。白々しさなど無に等しい。
 それにわたしは疑うにはまだ何も知らなさ過ぎる。なぜ一国のお姫様がこんな旅に出てるのか、サントハイムの地がどんな場所なのか、神様の存在やわたしの心気の真実、他の神秘の力はどんなのか、鉄の槍を振るうというのはどんなのか、わたしの家族はどうなってるのか。
 どれだけ悶絶躃地(もんぜつびゃくじ)しても知らないことを知るのは難しい。
 自分の中の黒い靄(もや)がいつまでも残ってる。掻き分けようとも宙を掻くその手は黒い霧の中に入り“わたし”をなくすかのよう。生存してることなど公認してないような・・・酷く不安にさせた。
 屈託が自分の中に降り積もる。
 
 辺り一体烏(からす)の濡れ羽色。元々黒かったのがもっと黒くなったと言うまさに焼け野の烏(からす)のようでした。墨のような透けてない黒さ。
 その中でたった一人。広い空間なのか狭い空間なのか。実は周りに穴があったりとか罠があって踏んだ途端ナイフが飛んできたり氷付けになったりしないかだとか。
 どっと不安が押し寄せてきました。その不安が更にこの空間を黒くさせたかのように見えて不安を色濃くさせる。考えが常に循環してる。
 気付けば自分の体に腕を巻きつけてぶるぶると震えていました。足も不安定で心も不安定で・・・待った。訂正します。全部不安定。何がどう全部なのわからないですけど、とりあえず全部不安定・・・。
 こういうとき・・・わたしならいつもどうしてたんだろう・・・。助けを求めたりしたのだろうか。大声で叫んだりただ震えてるだけだったり。実は勇気があり足を踏み出していたのやも。
《クリフトよ》
 な・・・!?な、なん・・・!!?おぞましく無意識に鳥肌がたつ。身の毛もよだつ。その上どこで反射してるのか意外に狭い部屋なのか、声が乱反射しエコーする。わたしは身を縮込ませた。畏怖という感情が湧き水のよう。
 しかも声と同時に恐ろしく一段と闇が濃く更に蠢きました。
 ここは闇の中・・・。深く考えなくても浅く考えてもそうでした。
 自分の存在が酷く酷いものに見えた。わたしは闇の中の住民だとか。そう思うと生きた空もない。
 姫様やブライ様には実は保護されてるだけではないのか。哀れにお思いになって・。
 声は我関せず続けました。
《お主がなぜ我々の前から消えたかは知らぬが、早う戻ってまいれ》
「ど、どどど・・・どこにですか!あ、あなたは誰なのですか!」
 歯が戦慄(せんりつ)でカチカチ言って上手く喋れない。
《ふん・・・アッテムト、と言えばわかるかね。そなたはそこで我々魔族の手伝いをしていたのだ》
な、なんだって・・・?人間の敵・・・魔物、魔族の・・・手伝い・・・?
《そなたの魔法は役立つ。エスターク様を蘇らせるために、そなたの治癒魔法は癒しだった。覚えておらぬのか》
 自分の中に冷気が伝わってきて頭の中グルグルになってなんだかよくわからなくなって、最後に意味の理解できない悲鳴を(多分)上げて、
 自分が闇と同化するということをひたすら感じていたのかもしれない。
 五感の感覚がせず浮いてるような感覚にとらわれる・・・!
 
 きらりとこの空間のどこかが琥珀色の光を一瞬放った。
 この黒い霧の中霧散もせずに真っ直ぐ見えたその光!死に物狂いでわたしはその光を発した方向に迫りました。
 でも霧は無数の手のように襲い掛かり・・・。
 
「ああああああああ!!った!!!」
「いてっ!」
 いきなり上半身を起こしたものだから正面衝突。姫様のおでことわたしのおでこが見事な音を立てました。うーん・・・十点満点。じゃなかった。
「す、すいません!おかげはありませんか!」自分のおでこを押さえながら言うと、「おかげってなぁ・・・」と姫様が同じように額を抑えながらものすごい飽きれ疲れの顔で溜め息を疲れました。あれ。『おかげ』と『お怪我』を間違えたようで。あはは・・・。
「大体絶叫あげてわたしのおでこにぶつかるか普通・・・」
「す・・・すいません。綺麗な肌に傷をつけてしまいましたか?」
「はいはい。もうそのことはいい」姫様が犬を払うみたいに邪険に手を払い「それよりクリフトの方は大丈夫なの?かなりうなされてたけど。ほら、汗びっしょり」
「え?」
 そういえば額を押さえていた手に水分を感じる。さっと拭くようにすると冷たい液体が手に付着しました。
 冷たい――あの夢は恐ろしく冷たい。
 思い出せば思い出すほど、身の全部の毛が立つ。
 たとえ今は何も知らないにしても・・・彼らの仲間ではないと思います。いや、思っていたい。
 実はわたしはあの母子みたいに人間不信に陥っていて、はぐらかされ魔物と一緒にいた時に哀れだと思ったブライ様と姫様が・・・。
 だめだ、考えすぎだ。だったらなんでブライ様も姫様も、こんなにわたしのことを知ってる?
「相談事があるなら言ってよ。心配しちゃうからさ」
 とっさにこんなことは言えず心配しなくて良いですありがとうございますと感謝の言葉を気付けば棒読みのように言うと、姫様は困ったように微笑された。
 窓の外からは朝の陽気。でも、今日は空が怪しいやもしれません。
 これは、わたしの心情を映してるのだろうか・・・。
 
落ち着けるところ?I don't know.
 
 記憶をなくしてから、もう十数日も経った。
 完全に傷は回復をし鉄の槍を一から学び、魔法も自発的に学ばさせてもらいました。
 おかげで何とか踊らされずに槍を扱うことも出来るようになりましたし、魔法こそ心得ているものを全て取り戻せたそうです。
 
 でも間中ずっと暗闇の夢を見ました。明確な声が聞こえない反面、嫌に現実的な呻き声が耳にこびりついて離れることはありませんでした。
 それに自分が自分でない感覚。いるのにいないという感覚。五感は働かず自分って何だと思うのも自分ではないよう。
 それにとても長い夢でした。
 無明長夜(むみょうじょうや)というのが適切な言葉。
 
 わたしの願いでアッテムトの地に向かわせてもらいました。
 願い申し出た途端、姫様もブライ様も驚き目を見開かれた。もう旅に出れるのかと。わたしは無理強いをして何とか許可を得ました。
 服や防具なども記憶があるときのまま。慣れるのも時間の問題で、あっという間。何せ頭が覚えて無くても体が覚えていたようでした。
 それにしても魔族。彼らは目をあわせば襲い掛かるものばかりでした。もしかしたら仲間なのかも知れぬと信じられない思考を巡らしながらも躊躇しつつ切り裂き、魔法を放ち続けました。
 もしわたしが彼らの仲間でも・・・本当に真実がそうだとしてもわたしの意志はもはや揺るがない。
 ブライ様も姫様も非常によくしてくれる。まさに昔に仲間だったみたいに。それが嘘偽りの無いことであってほしいと至極自然に思いました。
 もし魔物の仲間であったら更生して姫様やブライ様の下僕にでもなれたら・・・どれだけ幸運かと――
 
 アッテムトまでブライ様曰くあと半日。夜の帳(とばり)もおりかけ、いつものように野宿の準備。もう日課の一部。
 太陽の昇るうちに出来るだけ歩き、沈むと野宿の準備が始まる。
 この日も夕食を済ませ火を囲みながら、さあ誰が最初の不寝(ねず)の番だとじゃんけんするところでした。
 そう、公平にじゃんけん。ブライ様だって老人に見えてすぐ寝れるし素早いし・・・体力は無いけど年齢詐欺してないですか?ってほどですし、姫様はそれこそ神速ではないけど人間離れした体力に力強く鉄の爪が炸裂・・・!カールがかった栗毛が一、二本落ちようがそ知らぬ顔で敵をなぎ倒す姿は華麗な踊り子のよう。
 その中にひ弱ながらも若造である故にもちろん不寝(ねず)の番候補に入る。
 ということで、なんだか説明になってないですが公平にじゃんけん。
「じゃーんけーんぽんっ!」
 全員がグー。
「あいこでしょっ」
 姫様とわたしがパー。ブライ様がチョキ。
「ほっほ。では、わしは今日は疲れたので早く寝るとするか」
 そういうと彼はさっさと毛布に包まり寝入ってしまったが、こっちはこっちで重要な役を決めるじゃんけんの続きを。
「じゃんけんっ・・・」
「クリフト」
 言いかけたわたしを姫様がゆっくりと止めた。
「は、はい」
「ちょっと・・・話していい?」
「え、ええ・・・何でしょう」
 記憶が無い頃だったらそらもう心臓バクバクだったんでしょうけど、今は特に何の感情も持たなかった。話とはなんなのだろう?
「このまま記憶が戻らなくてもクリフトは・・・わたし達といて安心できる?」
「は?」
 あまりに予想だにしてなかった質問で声が裏返ってしまいました。
「だって夜うなされてばっかりじゃない。前は・・・記憶があるときはそんなことないことはなかったけど毎晩ってのはさすがになかったもの」
 どう答えていいかわからずわたしは黙りこくったまま、それなりに近場に燃えてる火を見つめました。
 夢・・・あの冷たい夢。毎晩見てうなされて冷や汗かいて暗闇の中、いつも何してるのかわからない。毎晩見る夢に不安だけが募(つの)りに募(つの)る。一方的に募ってだそうとしないから正直今は不安だらけ。
 もしや不安が外面にも出てきて感づかれたのかもしれない。
 姫様はわたしの顔色を見て(わたしがどんな顔をしてるのかよくわからないですが)、
「まあ、考えたらそうだよね。起きたら何にも思い出せなくて、理解できないことをつらづら並べられて。わたしだったら多分耐えれないもの。クリフトは強いよ」
 強い・・・このわたしが?だったらどの辺りが強いのでしょう。
 さすがに近々興味心も薄れたこともありましたが、やはり訊けなかった。口が思い通りに動かなかったと言いますか、口が開けなかった雰囲気といいますか。
「アッテムト・・・」
 姫様が唐突に次の目的地の名を出しました。わたしが驚いたように姫様の顔を見ると少なからず目を細められ、
「あそこがクリフトが息をつける場所だったらいいわね・・・」
「・・・ありがとうございます」
 姫様のこの気持ちが嬉しかった。姫らしくないお姫様に慰められても他の人は特に嬉しい感情は持たないかもしれないけど、少なくともわたしは嬉しく感じました。
 姫様は心の底から本当に記憶が戻ることを願ってらっしゃった。
 悪夢になんか、絶対に負けない。
 胸に拳を当てて自分の鼓動を確かめた。
 
 ここは人の住んでる場所なのですか。住める場所なのですか安住の地なのですか。
 当たり前のように俄然として漠然として思いました。
 酷いガスの臭い。なんといいますか・・・今まで戦った魔物達の臭いを混ぜまして、更に今まで倒した魔物の死臭も一緒に混ぜて、下水と共に攪拌(かくはん)して。
 酷い混交した臭い。吸えば吸うほど気分が悪くなる。現に今着いたばっかりなのに軽い胸焼けに近いものが・・・。
 人々だって生気などさらさら無い。
 一言で言うならばギリギリのラインで生きてる廃墟。
「はぁ・・・また寿命が縮むのう」ブライ様が嘆息なされた。「どうじゃクリフト。何か思い出せたか」
 悲鳴を上げ始めた胸を押さえながらわたしは首を横に振りました。
「そうか・・・やの恨むべきメタルスコーピオンを見れば思い出せるかもしれぬな」
「メタルスコー・・・あ、ああ・・・」
 そういえば起きた1日目に聞かされた気がしました、その話。
 そいつに攻撃されて頭を打って・・・。
「もしクリフトが無意識にトラウマ状態に入っても、わたし達がちゃんと守るから。何か思い出せないか、それをなるたけ考えてね」
 姫様が希望の目を輝かせ笑顔で言った。
 改めて足が酷く震えました。
 実は、彼女やブライ様に内緒で魔物との契約をしていたのではないのかと。このアッテムトに来たのも、わたしの策だったのではないのかと。
 実はわたしはこの二人を騙してたのではないかと。
 自然にこの考えしか浮かびませんでした。
 だったら、わたしは・・・、
 どうする?
 どうするのが、どうするのが。
 どうするのが、大切な人たちのため?
 
「ここで、わたしは気絶を?」
 不安定な段差が幾つも連なる辺り。この辺でわたしは、メタルスコーピオンにやられたそうです。
「何も覚えておらんか?」
 ブライ様が鼻を押さえていた手を少し下ろして訊く。
 結局わたしはこの地に来ても何も思い出せないでいた。
 不安を蓄蔵する元となってる悪夢や自分の中にある黒い靄(もや)が邪魔する。思い出そうとすることを邪魔する。
 首を振ると姫様もブライ様も残念そうな顔をしました。胸がちくりと針で打たれたよう。
 わたしが早く思い出せば、二人にこんな顔をさせることも無かったのでしょう?
 無意識に足が奥へと進んだ。アッテムト鉱山の奥深くに行けば何かわかるかもしれない。
 悪夢の正体が掴めるかもしれない。霧(きり)のように掴めなかったものの正体が。
 二人の驚きに満ちた声が聞こえましたが、わたしは無視し引っ張られるまま奥へと進みました。
 
 途中何度も魔物にあった。襲い掛かってきた。
 なんだ、やっぱり仲間じゃない。仲間だったら姿を見た途端気付くはずだ。
 わたしはザキという呪文で彼らを倒した。冷血魔法だというその魔法が効かない時は鉄の槍を振るうだけだ。
 やがて、奥へ辿り着いた。後ろから着いてきていた二人もすぐに来なすった。
「クリフト・・・そなた、この年寄りを早死にさせる気か!」
 わたしは、そのブライ様の言葉を返すことが出来なかった。というか、耳に入らなかった。
 目の前に現れた人影を見て、
 絶句。
 ストレートの銀髪にルビー色の瞳。銀髪は赤いリボンで結わえてる。
 わたしが・・・知ってる者。
 治療師の、ハスト。
 違うのは白衣じゃなくて黒装束のようなルックスだということ。それ以外は何の代わりも無いではないか。
「おやおや。来たんですね、クリフトさん。待ってましたよ」
 偽善者の笑顔を貼り付けて、片手をこっちに差し伸べた。
 待ってた?・・・わたしを?
「な、なぜ。わたしに何用なのですか」
 呆気ないほどかけ消えそうな小さな声が、実際この鉱山に反響することなく消えた。
「なぜ?なぜってあなた」
 ハストさんは偽善者の笑みを少し崩し鼻を鳴らして、
《それとも、この声で喋らないとわからないのかね?》
 
 思えるから想える
 
《それとも、この声で喋らないとわからないのかね?》
 アッテムト鉱山に現れたエンドールの説き世話になったはずの治療師のハスト・・・。
 声は頭の中でガンガンと響く。夢の中と同じ、声が乱反射を繰り返す。
 手にあった鉄の槍がからんと落ちる。ただでさえ胸の痛みが増倍し頭や体を締め付けた。
「くっ・・・」
「クリフト!」姫様が駆け寄ってくる。「大丈夫?ねえ、クリフト!」
「くう。あやつ・・・」ブライ様はゆっくりと歩いてきてハストを睨み付けた。「クリフトを背負って治療できるやつを探しておる時にそなたを見つけた時に、一瞬現れた邪(よこしま)な気・・・。魔物であったのか」
 歯軋りをしながらブライ様が言うと、ハストは平然と嘲笑う。
「今更気付かれたのですか。王宮魔法使いもサントハイムの王女も役立ちませんね」
 足と腕を組んで彼は続ける。
「彼は人間のくせに使い勝手がいいではないですか。治癒呪文も使える上、冷血呪文だ。それに扱いやすいな。翻弄されやすいというか。気持ちが揺れやすいのか。更に記憶を失ってる?はっ、丁度いい素材だ。不安を溜め込み、いつ爆発してもおかしくないのだから
「だからなんだ!クリフトは魔族の仲間になど加わらないぞ!わたし達の仲間なんだからね!」
「さあ。それはどうでしょう」
 ハストは冷笑し右手を上げた。
「ぐっ・・・ああ・・・!!」
 心臓に冷気が降りかかる。刃と化して突き刺さってくる。まともに息なんてしてられない。
 あ、あいつ・・・わたしの体に・・・何をした・・・?
「むっ・・・ヒャダルコっ!」
 ブライ様が再度氷の魔法を唱えるのが、頭の奥で聞こえ・・・、
 でもその後何があったかも分からず・・・やがてノイズのような音だけが辺りを支配して、全てが暗闇と・・・。
 
 
「まあ、考えたらそうだよね。起きたら何も思い出せなくて、理解できないことをつらづら並べられて。わたしだったら多分耐えられないもの。クリフトは強いよ」
 そういう彼女はカールがかった長い栗毛の髪が特徴のわたしより少し下の少女であった。
 瞳に意志の強い輝きを持っていて、唇はピンクの薔薇のよう。こう秀麗に見えて彼女は棘を隠し持ってるようだった。
 黄蘗色(きはだいろ)のワンピースのような服を着ていて、黒いベルトでお腹の辺りを縛る。
 黄金色のいくらか擦れた、いかにも使い古したブーツに同色のこれも使い古したようなグローブ。花色のとんがり帽が特徴的。
 そこまで考えるまで長々と見て、そういえば彼女を以前にも見た感じがデジャビュに感じた。
 誰だったろうどこであったろう。わからないのに好感しか湧き出ない。どうにかなっちゃったんじゃないか。一目惚れとかいう冗談めいたことではないのか。
 ふんわりと鼻につく匂いが、これまた蘭。
 ・・・蘭――?
 蘭、蘭といえば。な、なにか。なにか思い出せないか・・・。
 でも思い出すってどうするかわからない。
 そもそも、自分って何者?生きてるのか死んでるのか?
 もしかするとここは生涯を終えた者が招かれる地なのやも。
《早う戻ってまいれ。そなたは魔物の仲間。傷を癒す神官べき役割ではないか》
 目の前にいた少女が掻き消え、おぞましい声が辺り一帯に響く。エコーエコーエコーエコーエコー・・・。
 違う。違う。魔物なんて・・・魔物なんて、仲間なんかじゃない。絶対に・・・!
 黒い空間、わたしは一人だった。自分がかすかに光ってた存在だったからわかった。ちゃんとした人間の青年であると思い出す。思い出すという感覚と共に思い出した。感覚がどっと押し戻る。でもそれ以上は特に思い出せなかった。
 足が浮いてる感覚。というか重力に逆らってる感覚。今上だと感じるのは上じゃないのかもしれない。
 ここは・・・どこ?わたしは・・・?
 声を発しようとしたが口を開いて声帯を震わしても、わたしの声が空気を震わすことはなかった。響いていたとしても、自分の中だけ。
《それ。早く肯定せぬか。いつまでとぼけて人間の仲間になどおる》
 違う。魔物の仲間じゃない。人間だ。人間の仲間だ。魔物なんて・・・。
 声を出そうにももちろんでない。自分の言葉が自分の中で巡回するだけ。
 でも、胸が空洞のよう。よくわからない痛みが走って熱くなって、どうすれば食い止められる?
 少し自信をなくしてしまう。自分が人間に見えても実は人間じゃなくて、実は声など発せられない醜いものなのではないのかと。
 この水中のような空間の中、上下も右も左もわからぬ世界をただ一人・・・そ知らぬ恐ろしく邪気を放つ声と共にわたしはずっといなければならないのか。
 
 いや、違う。それは違う。さっきの少女。彼女もまた、この空間に存在するはず。
 
 そう考えた瞬間、わたしは目の端に光るものを見た。琥珀色の淡い光を。
《わからぬものだな。哀れよ、事実を承認せずとはな。この苦しみを味わうこともなかろうに・・・はっはっは!!》
 不気味な笑いが当たり一帯に響く。ただでさえぞっとする嫌に恐ろしい声が、わたしの肌の毛を一段と立たせる。
 更に胸だけじゃなく体中に激痛が走る。外部からではなく内部から凍りつくような。
 ぐ・・・やっぱり・・・やっぱりわたしは魔物などの仲間じゃ・・・仲間じゃないじゃないか・・・。仲間だったら、こんな苦痛なんて味合わせるはずなんて・・・。
 相手はわたしよりもやっぱりたくさん力があって、もちろん抵抗なんて出来やしない。どこに存在するのか、どこから声がするのかもわからない。
 でもその声に反応するより、痛みに唸るより、琥珀色の光に気が向く。自分のものかもわからぬ体を動かして、ああそうか自分なのかと妙に納得してその光へと進路を見出す。そしてその体を動かす感覚が泳いでる感じだというのに気付くのに時間は掛からない。
 あの光・・・琥珀色の。あの光は誰かに似てる。
 そう、誰?誰だ。誰なんだ。誰・・・?
 答えの出ない無限ループの自問自答を繰り返す後(のち)、足が地面に着く。思わず尻餅をついた。体の重さが一挙に戻ってきたんです。足が着いた途端。
「いたたたた・・・」
 呟いてから愕然とした。意外にこの空間にわたしの声が綺麗に響いた。今まで恐ろしく不揃いなエコーしか聞かなかったけど、今のエコーは規則正しかった。
「は、はは・・・」思わず失笑が漏れる。「なんだ・・・たいしたことないじゃないですか・・・」
 痛みも完全に抜けた。支離滅裂な空間からも同時に抜けた。
 ちゃんと声が自分のだと認識できた。言おうとして言ってるものだと、理解もできる。
 きらり。目の前で琥珀色の光。
 わたしは立ち上がろうともせず這って近づく。立つなんて余裕などない。その正体を確かめる以上のことに何が重要なのだろうか?
 その正体は、小さな箱。簡易に出来た木の小さな箱。立方体の手のひらに乗る、そのくせ想像以上に重いちゃちな箱が無造作に置かれていた。
 思わず心臓が大きく脈打つ。既視感(きしかん)がはっきりと自分の中に雪崩れ込む。息も荒くなる。肩が大きく上下に揺れる。
 なぜ?なぜわたしはこの箱に大きく惹かれる?
 ただ、中に何があるかもわからない。中身が確認できない。蓋や開けれる場所がないのだから。ただの立方体。
 試行錯誤し投げて叩いて(考えた末の結論なんです!)、でも木なのに壊れなかった。実は木に見えて木ではないのかもしれない。というか開けるものではないのかも。でも中に何か入ってるという概念が抜けない。
 こつっ・・・。
 不意に後ろで足音がした。振り返ると、
 ・・・ハスト!!
 白衣とは違う、黒い姿がこの空間に同化する。圧倒的にルビー色の瞳と銀髪が映える。
「おやおや。その箱は・・・。返しなさい。あなたが持つと、良いことなどない」
 偽善と冷笑が混じった笑顔で片手を差し出す。
 パチンとわたしは叩き落とした。その手を。繊細そうな細く白い手を。でも細すぎて白すぎて逆に恐ろしい手を。
「おっと。反抗的ですな。今回の獲物は」
「獲物?」訝(いぶか)しげに問うと、相手は完全な冷笑で文字通りこちらを見下す。こっちが座った状態で箱を抱え、相手は長身痩躯で更に立ってるのだから。
「ええ。あなた、往生際が悪い上に耳が悪いのですか?あ、違いますね。頭か。所詮理解できない知力の低い頭を持ってるからですね。さすが人間だ」
「・・・わたしはあなたになにかしましたか?」
 嘲笑いの混じる声を無視し低い声で訊くと、彼は黒い服の中から細身の剣を取り出す。剣を鞘ごと隠し持っていたんだ、あいつは。冷や汗がこめかみを流れる。
「上等です。あなたは裏切った。いい材料だと思ったのにな。心も弱いし、治癒呪文と冷血呪文」
 心が弱い。そう言われて何も言い返せなかった。
 いつも自分の思いを閉じ込める、心弱い人間なんて百も承知だ。
「このまま魔族に貢献すれば、それなりに地位もいったと思うのに・・・残念だ。死んでもらいますよ」
 細身の剣を相手は稲妻の速さで振るった。突然のことで何も出来なかった。気付けば喉元に剣先がある。
「知ってますか?わたし、モシャスも唱えれるのにこういう風に夢の中に入ったりいじったり出来るのに薬に魔力こめたり出来るのに治癒呪文だってちょっとは唱えれるのに、デスピサロ様に目を付けられないんです。だから、この姿も嫌味。あやつの姿に似て」
 知ってるわけないでしょ・・・!ただの八つ当たり・・・。
 喋ろうにも喋れない。喋ったら喉仏が銀の刃に触れる。
「酷いですよねぇ。だからこうやって遊んでるんです。欺くのは楽しい。快楽ですよ。わかりますか?ま、あなたは生憎わからなさそうな神経してますけどね」
 そこまで言って冷笑から笑いの要素が消える。
「さて、そろそろ死んでもらいましょうか。精神が死ねば生きれてもただの抜け殻だ。ああ、楽しいですねぇ」
 剣先が引く。喉元つくのは楽しくないと思ったのか?更に考え込んだ。どうやって殺しましょうかねえと。
 からん。
 この音。ついさっきも・・・以前も聞いたような。
 ・・・そうだ。鉄の槍・・・。鉄の槍だ。
 胸に小さな箱を抱えるようになっていた両手のうち、右手を無意識になるべく自然に下ろす。
 冷たい手馴れた感覚。これは、鉄の槍の柄(え)。上手く行けば一瞬でハストを突くように計算された位置に転がり落ちていたその鉄の槍をひしと握る。一時(いちどき)に左手の箱を抱える強さも強くなる。
気を抜くな手を抜くな。一発勝負だ。今考え込んでる、こっちを無力だと思ってるあいつを倒せる唯一の方法。何分の一だ。一桁の確率だ。落ち着け。
 気付かれないように大きく、でも小さく一度深呼吸。
 よし。
 息を止めて、声を出さぬようにし懇親の気合を右手に込める。
 ・・・突いた!感覚もあった。ハストの顔も驚愕に満ちている。細身の剣が、静かに音を立てて落ちる。
「な・・・なんだその槍は・・・」自分の心臓に一突きされた槍を抜こうとも力が出ないようで、ただハストは膝を折り手を地面に付いた。
「さあ」わたしはあくまでも冷静に言う。「ここはわたしの中とさっき言いました。わたしの中だったら、わたしが思えば思い通りに行くでしょう?この槍は、わたしの意志に従っただけ」
 一息つく。言いたいことはまだある。
「それにしても脱兎のような剣技を持ってるのに、気がしまってませんね。一瞬の気の緩めが命を落とす原因ともなる」
 ハストと同じような冷笑をわたしはする。
「その上あなたのように主君を裏切るような行為や言動、思想を巡らしてる者に誰が信用しよう?誰にも目を付けられないのはそのせいと思ったらどうですか?」
「・・・ふっ」
 一度だけハストは自嘲気味の笑みを漏らして跡形もなく消散した。鉄の槍が乾いた音を出した。暗闇が一瞬揺らいだ。
 静寂が一気にこの場を支配した。専(もっぱ)らわたしの息遣いだけ。
 改めて左腕に大事そうに抱えられた箱を見る。
 ・・・あれ?さっきまで身も蓋もなかった箱に・・・蓋が出来てる・・・?あり得ない。さっきまでそれらしき隙間などなかったじゃないか。
 心臓が激しく脈打った。この箱を開けていいのかと、自身が問う。
 一瞬蓋を開けることを躊躇した。
 でもこのときばかりは久しく好奇心が勝(まさ)った。最近、自分が何となく何者かとわかってきて結果的に失いつつあった好奇心がマグマのように。
 ゆっくりと開けると琥珀色の光がそれに応じて、ゆっくりと漏れた――
 
 蘭の花畑で踊る栗毛の少女。髪は若干巻き毛。
 花色のマントに同色のとんがり帽子。 黄蘗色(きはだいろ)のワンピースのような服。黒いベルト。
「クリフト」
 わたしの名を呼ぶ、彼女の名は・・・アリーナ姫様。
 クリフト。その声が胸に染みる。
 クリフト。以前は理解できなかったその言葉をはっきり理解できる。
 わたしの、名前。
 
 わたしは・・・サントハイム神官のクリフト。
 
 
 目が覚めた。しっかりと目が覚めたという感覚がある。
「あ、起きた!爺、クリフトが起きたよ!
 近くで姫様の声がした。目を彷徨わせ彼女の姿をすぐに見つける。ブライ様もすぐそこで本を読んでいた。
 ここは・・・診療所だろうか。忌わしきハストの場所とは全く違うのは一目瞭然。着込んでるのは、いつ着替えさせられたのか白い寝巻き。これは全診療所共通か。
 ブライ様はその知らせを受けるとすぐに冷ややかにおっしゃった。
「まずは認識できるか訊いてみたらどうですかな」
 姫様の顔色がさっと青くなる。喜びにあふれていた体が固まった。その後ダランとうなだれなさった。
「はぁ・・・それは言わないでよ」
 ・・・?何のことでしょうか?・・・ああ。そうか。今まで記憶を失ってたんだっけ。
「あの、姫様?」
 そっと呼びかける。彼女の顔が少なからず輝く。
「わ、わたしのことがわかるの?!」
「は、はぁ。別に頭を打ったわけではないので・・・ところでここは、どこで?」
「あの、覚えてる?アッテムトでの、ハストの野郎のこと」
 姫様がわたしの尊い疑問をあっさり切り捨て、心持ち拳を震わせながらおっしゃる。
 ハスト。もちろん覚えてる。今思い出してもぞっとする。あの恐ろしい声とわたしの中に作り出された空間。思えばこの組み合わせは今までの体験の中で群を抜いてる。思い出すたび震えが止まらない。
「・・・覚えてるんだね」
 自分の体をぎゅっと押さえて震えていると、姫様が眉を顰(ひそ)めておっしゃった。わたしは軽く頷く。
「忘れたくてもあれは忘れれるものじゃありませんよ。それに」そこまで言って酷く自分の声が震えているのに気付き、小さく深呼吸した。丁度、ハストを刺す前のように。「デスピサロ」
「!」
 癪に障るその名を出すと姫様も、ブライ様さえも訝しげに眉を上げました。
「あのハストの姿・・・デスピサロのものだとか」
「・・・」
 一瞬自体が飲み込めなかったらしく二人とも無言。その沈黙に耐え切れず、わたしは続けた。
「モシャス・・・ですよ。姿を真似る、擬態魔法。あいつはなかなか自分に目を付けてくれないデスピサロになんや怒りをもってあの姿で行動してたそうですけど・・・」
 左を向いてみて、そういえばここに窓はない。外を眺めることなど出来ない。
 何となく言葉を続けるのをやめた。
 ハストはデスピサロに憧れてたからあの姿で行動してたんですよ、きっと。そういおうとした口がふと止まる。
 彼は寂しかったんだ。心に記憶を失っていた頃のわたしと同じ感情が渦を巻いてたんだ。疑い深くなってしまい、彼は勇気があってそれを行動に出しただけ。
 次に開いた時は違う話題が出てきていた。なんだかハストの話はしてはいけないような気がして。
「ところで、姫様」
「・・・」
「姫様?アリーナ姫様?」
「・・・ん?あ。ごめん。何?」
 考え込んでいた姫様が顔を上げました。わたしは出来るだけ明るい声で、明るい話を始める。
「わたし、思い出しましたよ。記憶、戻りました。アッテムトでメタルスコーピオンに殴られて頭打ったときのことも鮮明に・・・」
「・・・うそ」
 あたかも信じられないというように目を見開いて姫様はじっとこっちを見つめる。心臓の鼓動が早く脈打ち始めた。
 そう。これも、忘れかけてた感覚。ときめく瞬間――
 記憶が戻るというのは膨大な情報が流れ込む。中には耐え難い思い出もある。家族、親のこととか。でもやはり、自分が自分であるという感覚が戻ってくるのが何ものにも変えられないものな気がします。
「ほんとです。神官として幼き頃からサントハイムで世話になった・・・顕然たる事実として自覚できております」
「ふむ」今までなかなか口を開かなかったブライ様が鼻を鳴らす。「全く。まだ尻が青いのう。罪償いとして、荷物持ちはしばらくおぬしな」
「えぇ」言い掛けて、やっぱりそれなりに償わなければいけないよなぁと思い言葉が結果的に尻すぼみになる。・・・ブライ様、憮然としてますけどわたしの記憶が戻っても戻る前も同じ態度で接してくださるのは非常にありがたいことでした。辺に意識したくないですからね。
「何言ってんのよ、爺」と、助け舟姫様(?)。「クリフトだって今回は大変だったんだよ。ま、今回は休憩休憩」
「休憩って、姫様は昼間は外で暴れまわるんじゃろう?」
「う・・・ほ、ほっといてよ。体が鈍(にぶ)るのだけは勘弁願いたいのよねぇ」
 はははと苦笑しながら姫様は再度わたしに詰め寄ってくる。
「それよりクリフト」
「は、はい?」我ながらかなり裏返った声。だだだだって、姫様顔近い!
「ホイミしてくんない?ここの診療所魔法を使う治術師いなくて。薬は痛いし苦いから嫌だし。ハストを倒した後に・・・うん。何かね、クリフトが気を失った辺りからハストも気を失って。そうそう。しばらくしていきなり起きだして、マントの下に隠してた剣で自分を指して死んだんだよ。それで、クリフトを背負ってる時にいきなり背中に突きだよ。拳で。クリフトがしたんだよ。いったいなあ。背中に痣できたよ。何か薬草買うのも面倒だし背中に張るのも面倒だしこんな軽い傷・・・というか痣なのに使いたくなかったんだけど、何となく痛むから」
 ・・・一度に一気に言われても状況がつかめないような・・・。って、待った待った。わたしが姫様を突いた?拳で?
 ・・・え。えええええええええ?!な、何ですかそれは!
「ひ、姫様!」思わず食いかかる勢い。「すすす、すいません!な、何を血迷ったか姫様を拳で突くなど。す、すぐにホイミを唱えますゆえ・・・。いえ、ベホイミでも心得てみます!」
「ベホイミは大袈裟すぎるって。というか覚えてるの?」
「ふぉっふぉ。まだクリフトめにはベホイミは早いような気もするがのう」
 ・・・そうなんですよね。まだホイミどまり。勢いでベホイミといった自分が恥ずかしい・・・。
 ところで・・・姫様がわたしを背負ったりとかハストが自ら命を絶ったとか。うーん。色々ある。
 考え込んでいると、姫様がいきなり失笑なさった。
「・・・姫様?」
 最初は堪えていた笑いもいつしか大笑となりました。わたしの頭の中で手足の生えた疑問符がひょうきんに踊ってます。
「ははは。今更だけどクリらしいよ。さっき言ったこととか。記憶が戻る前と大違い。だって、あったじゃない。エンドールからアッテムト行く時に一度だけ、間違ってわたしの手の甲に鉄の槍の柄を当てて。あれも十分に痛かったのに、クリフトなんて『あ・・・すいません。すぐに手当てします』だけだもんね。あの時は冷めてたわねえ」
 そ、そういえばあったような・・・!ああ、お恥ずかしい!思わず頬に両手を当てる。絶対今顔赤いです・・・。
「まあのう。色々と自分というものが戻ってきたんじゃよ。ま、多くは語らんがな」
「ブライ様!内密に」だ、だってそれはわたしが姫様を好いてるってことを遠まわしに言ってるのではっ。
「ふぉっふぉっ」
「ちょっとクリフト。内密って何よ。わたしに内緒ごと?」
「ち、違います」
「じゃあ教えなさいよ」
「・・・」
「違わないじゃないのよ。・・・ちょっと出掛けてくる。そろそろお金の足しでも狩ってくるわ」
 ああ・・・姫様が去っていきました。乱暴に戸を閉めていかれました。
 き、嫌われました・・・?・・・ホイミ唱えてないですし。
「・・・さて、わしもちょっと出かけるかのう。クリフト。今はせいぜいゆっくり休むことじゃな」
 ブライ様も他人事のようにゆっくりと部屋を出て行きました。それを見てることしか出来なかった。
「・・・はぁ」
 何だか・・・トラブルはまだまだ続きそうです。
 初夏はすでに終わり始め、そろそろ夏本番。
 
 

 これはとっても試行錯誤した覚えがありますね。

記憶喪失者の視点から書くってのはかなり難しい。そもそも記憶喪失なんてなったことないですしね。

記憶喪失ってどんなんだろうと思いながら書いたものです。

自分の過去が分からないから、この人が親だとか友達だとか旅の道連れだとか好きだった人だとか・・・全部わからないんですよね。

それってやっぱりつらいし、自分に対して何かしら疑問を持ったりします。

“自分の居場所”――自然とこのワードがキーになるかな。

後、蘭=アリーナってのは勝手な著者の想像ですし、クリフトの家族については全くゲーム上では触れてないのでさっぱり解かりませんw