夜の宿で
 その日はどうも寝付けなかったのです。
 病み上がりの夜、勇者様を初めてこの目で見ました。それは忘れられない姿をしていたのです。
 エメラルドグリーンの髪に、緑青色(ろくしょういろ)の瞳。瞳は尋常じゃありませんでした。それはもう澄んでいるというよりか、何者も吸い込んでしまいそうな。意志のあるような。
 そして何より緑青色の瞳は、見る角度から浅紫(あさむらさき)やターコイズブルーにも見えるのです。
 たとえ難いこの彼女の瞳は勇者ゆえのものだろうと、いたって普通に思いました。
 彼女の髪だってそうです。光の加減で利休鼠(りきゅうねず)のような色になったかと思えば、時に漆黒に一瞬見えたりしました。
 でこに付いてるアクセサリーの宝玉も浅葱色(あさぎいろ)や空色、時にネイビーブルーになったりする不可思議なものでした。
 俄然、彼女の腕っ節が気になるところです。それは多分明日あたりにでも見られるはずでしょうが。
 パデキアの種はわたしのあの病をいとも簡単に治してくださいました。
 でも正直わたしは病の時のわたしの容態をよく覚えてないのです。
 ずっと看取(みと)って下さったブライ様が言うにはそらもう凄かったと。
 熱が出たかと思えば急に体が冷え、咳き込んだかと思えばうわ言を始め、急に叫んだかと思えば急に黙り込み。
 ・・・全く覚えてないんですね、これが。
 とにかく姫様とブライ様と勇者様一行にご迷惑をかけてしまったのは、よくわかります。
 明日から旅に出るか、明後日から旅に出るか。疑問のものですが、病み上がりだろうとわたしは完全復活いたしましたので。出来れば明日に発ちたいもの。ベッドの上で転がってるだけだったわたしの体はかなり鈍(なま)っています。せめて早いうちに感覚を取り戻したいものです。
 それでも、姫様やブライ様が許してくれなかったらどうしようか。やっぱり置いていかれる。ああ、それだけはごめんしたいものです。
 そんなことを考えているうちにわたしは水が飲みたくなってきて、共同の部屋へと行きました。
 この宿でわたし達は団体男女部屋というのをとりました。
 この部屋は中央に食事をしたりお手洗いがあったりする部屋があり、そこが共同の部屋。左右に男女部屋とあるのです。
 わたしは部屋で寝ているトルネコさんとブライ様を置いて部屋を出てきました。もう彼らが寝付いてかなりの時間がたったので、深い眠りについてることでしょう。戸を開けてゆっくり閉めると、トルネコさんやブライ様の鼾(いびき)が聞こえなくなりました。
「ふぅ・・・」
 なんとなく、溜め息をつきました。何に対してついたものか、わたしにも良くわからないのですが。
 とりあえずテーブルの上においてある氷水が入っているポットと逆さになってるコップの6つ(7人いるのに何で6つ?)のうち1つを手に取りました。
 カランといい音を立ててポットがひっくり返って、コップへと冷たい水を注ぐ。
 そのコップをもひっくり返して、冷たい水はわたしの口や体を冷やす。ゆっくりとゆっくりと流れていった。
 わたしはずっと立ってるだけというのが特に疲れてはないですが何かあれなので、自然と1つ椅子を引いて座りました。
 沈黙がさっと下りてくる。
 夜中の夜中。パーティの誰も起きてない。もちろん、宿の人は誰も起きてない・・・はず。
 どっかの部屋でグラスでも鳴らしてる部屋はあるかもしれないが。
 それでも、今この部屋は1人。グラスを交わす相手もない。
 そうだなぁ。
 
 こんっ。
 かちゃ。
 
 え。
 「かちゃ」とは何だろう。
 前者の「こんっ」は、なんだか寂しさに駆られたわたしがコップをポットに軽くぶつけた音なのですが。
 わたしは音のしたのほうを見ました。
 途端、心臓が飛び上がりましたとも。さっき冷え切ったからだがいきなり火照りましたとも。さっき冷やした意味がないほど。
「あれ、クリフト。起きてたの」
 そう!言わずもがな、サントハイム王女殿下アリーナ姫様が女部屋から戸を開けた音だったのですから・・・。
 いつもの帽子はもちろん被ってないし、服とて隙だらけ・・・ごほごほ。
「ひ、姫様・・・?」
 この声が自分の声だったのか、思い出しても思い出せぬものでした。かなり動揺してました。
 だって夜中に急に姫様が起きだしてくるなど、読めるわけないわけですよ。
「うん。なんかさ、寝れないのよね。水飲みに来たの」
 そう誰も起こさないようにおっしゃると、姫様はわたしの向かって正面の椅子にどかどかと座りました。よく見れば片手にコップを持っていらっしゃる。・・・あれ。いつの間にかコップを取ったのだろうかと逆さになってるコップの列を・・・ひい、ふう、みい、よ、いつ・・・わたしのでむ。
 もしや1つ足りなかったのは、姫様が持っていったからだろうか。
 姫様は平然とコップに水を汲んで、いっぱいを一気に飲み干す。はぁと甘い吐息のようなものを漏らして(少なくともわたしにはそう聞こえました)わたしに語りかけました。
「わたし、アリサが勇者なんてまだ信じ難いなぁ。どう見ても普通の女の子だもの」
 また姫様はコップに水を汲み始めました。どれほど喉が渇いてらっしゃるのだろう。水など入れなくてもいいので、今わたしのコップに入ってる水を飲んでくださってほしいです。・・・っと!!姫様にこんな雑用みたいなことはさせてられない!付き人が姫様の作業をぼうっと見てるなぞ、気が利かぬにも程があるのでは。
「ひ、姫様。わたしが水を入れますゆえ、そのポットをわたしに渡してくださいませぬか」
「何言ってんのよ。これぐらいね、しなけりゃ生きてけないわよ。どうせそんなことを思ったんでしょ」
「う・・・そ、そうでございますが」
「じゃあ、構わないで。わたしは今姫などではないわ。一端の冒険者よ」
「で、でも」
「サントハイムは今無人よ。姫がいようが関係ないわ」
「でもでも」
「ま、クリもさ。一杯やろうよ。生憎水だけどね」
「・・・」
「ワインがいい?ワインならもらってくるけど」
「い、いえいえ、違います。ありがたく頂戴いたします」
 から・・・こぽこぽ・・・。
 氷が音を立て、水がコップへと注がれる。姫様がついで下さってます。ありがたすぎるものです!わたしはコップを斜めにしてなるべく音が立たぬようにしました。反応が少し遅れてしまったのだけれども。
「ほら」
 ポットを机において、姫様は自分のコップを持ち上げ、わたしに差し出す形にしました。
 乾杯しよう・・・ということはすぐに理解できました。頭では。か、体が付いてゆかなかったのです。
 姫様が急かすようにコップを持ってる手を痙攣させました。慌ててコップを持とうとして
 
 がしゃん!
 
「あ!す、すいません姫様。すぐにタオルを持ってきます!」
「ちょ、い、いいって・・・」
 姫様の服に水をかけてしまったのです!い、意図ではないにしても、一国の姫様に下っ端が水をかけてしまうとは何という!ああ・・・重罪、死刑でもなんとでも!せめて姫様の手にやられたいものですが・・・!
そう思いつつ、わたしは洗面台の手拭タオルを一心に引っ張りました。
 そして、その手拭タオルを片手に走りました。真夜中だと言うこともすっかり忘れてどたばたと。幸いに誰も起きる者ははしませんでした・・・多分。正確に言うと起き出す者はいなかったでしょうか。
「ひ、姫様。お怪我は・・・ございませぬか・・・!」
 全力疾走だったため、わたしは息切れしてました。でも、言ってから思ったのですが水で怪我なんてありえないですよね。別にコップが割れているわけでもない。よほど冷えた冷水なら低温火傷するかもしれないですが。もちろんそれもない。
「何冗談言ってんのよ。ほら、これぐらい拭くから貸して」
「いえ・・・わたしが拭きます・・・!」
「いや、いいって。貸して」
 姫様はわたしの手から半ば強引にタオルを引っ張っていきました。そして、胸の辺りをお拭きになられました。
「あ・・・」
 よくわからない一言を発して、わたしは目をそらしました。年頃のと言いますか好きな人のを見てもいいのか。・・・いえ。これは条件反射です、男の。
 しばらくわたしは姫に背を向けしばらく突っ立ってました。何故か片手は胸に手を当ててました。自分の鼓動が脈打ってるのが良くわかり、少し落ち着いてきたように思えます。
「・・・ほら。もういいわ」
 どきどきどきどき・・・。
 この時はわたしは、自分の鼓動を聞きすぎて姫様のお声を聞いてなかったんですね・・・。無反応で姫様に背を向けてるだなんて・・・謀反人みたいじゃないですか。というか、ナルシストに見えなくもないです。
「・・・もーし?」
「ひ、ひゃい!?」
 姫様がわたしの背中を突っついてきました。我ながら凄い悲鳴をあげました。また心臓が跳ね上がり心拍数が急激に上がりました。
「何変な悲鳴あげてんのよ。ほら、もう拭いたから大丈夫だって」
「で、でも拭いたからと言って濡れてるのに、お変わりございません。わたくしめが見てはいけないのでは・・・」
「なんで?別に見えるほどまで濡れてないよ」
 姫様が不思議そうな声をなさられた。本当に別になんともないってというように。
 今度はばしばしと背中を叩かれました。・・・今度は手じゃなくてタオルでしたけど。
「ったく。クリって変なところで忠義だね。これぐらいで起こらないから。ほら、水いれてあげるからタオル持ってかえって」
 そうおっしゃられて姫様はわたしの肩にタオルを投げ捨てました。ちょっと耳にかかったんですけど。
「は、はい・・・
 っと、流されるところでした!別に姫様が水をコップに入れてくださらなくてもいいのに!
「ひ、姫様!タオルはわたしが持っていきまするが、別に私のコップに入れてくださらなくても・・・!」
 後ろを振り返って・・・、これ以上ないほど心拍数があがりました。
 天使みたいでした。ええ、断言しましょう。天使様です!
 いつもカールがかってる亜麻色の髪が先程少し濡れてしまったせいか、ちょっとストレートに見えるんです。それに、ひ、姫様・・・。髪の毛をお拭きになられてないのです。ちょっとちょっとちょっと。
「姫様!お髪が濡れていらっしゃります!も、もう1度お拭きになってください!」
「おっと!」
 肩にかかってるタオルを、わたしは投げました。・・・王族の方に投げてもよろしいのだろうかと考えたのは後々でしたが。
「別にこれぐらい髪が濡れてたって問題ないのに。やっぱクリフトは変なところで忠義だよ」
 そうおっしゃりつつも、姫様は髪をお拭きになられました。毛先に少し飛んだだけなのですからすぐ拭き終わるでしょう。
「で、ではわたくしは水をいれておきますゆえ。姫様にわたくしなどの世話なんてとてもじゃないですよ」
 っと、急いで自分のコップを掴んでポットも掴んで、とりあえず確保しました。
 はぁ・・・。
 もうこれで姫様がわたくしの世話をすることはあるまい・・・。ほっとしてここでゆっくりしてたのが運の尽きでした。
「はい。このタオル返してきて」
 と、すぐに返ってきたんです。タオルが顔面を直撃しましたとも。しかし、姫様は気になさらずわたしからポットとコップを奪い取りました。
 ・・・・・・。
「はい・・・」
 やっぱり姫様には逆らえませぬ。行動も早すぎです。というのはもう何年も前からわかっておりますが、こう実感してしまうとやっぱ自分はトロい男だちゃちな男だなどと感じるんです。
 溜め息をつきながら、わたしは手拭タオルを元の位置に戻しにいきました。
 洗面所から・・・共同の部屋へと戻り・・・思わずこそっと顔だけ出すだけに止(とど)めました。
 姫様が右手で頬杖を付きながら少し眠そうに欠伸をなさられ、左手で暇をもてあそんでおられました。コップをいじられたりテーブルを爪で叩いたり。落ち着きのない姫様らしいです。
 なんとなく、気が楽になったと言いますか落ち着いたと言うか。
 昔のまま、わたしも姫様もあまり変わってない。それは喜ばしいことなのか悲しみべきことなのか、それはよくわからぬ。でもわたしと姫様が少なからず近くの道を歩んでいるようで、ほっとしました。それさえほっとしていいものかわかりかねますが。
 ゆっくりと姫様の近くまで歩み寄り、
「失礼します」
 小さく言って礼をして、椅子を静かに引いて座りました。
 やはりすでにコップには水が8割ほど入っておりました。姫様のコップ(宿のコップなのですけど)も同じぐらい入っておりました。そのコップはすでに姫様の手中にあり、あー今あのコップになりたい気分だなーとただただ普通に思いつつわたしもコップを手に取りました。
「クリフトの病気が治った祝いと、ようやくであった勇者様一行に対しての乾杯で・・・」
 姫様が微笑した。わたしも笑い返す。
 そしてお互いのコップを交わした。
 
 かちんっ。
 
 

 どうだこのグダグダ感!

この話は姫様はちょっと男っぽいですね。何の影響?厨二病か?

このクリフトのドキドキ感が少しでも伝わればいいなと思います。

生憎、私には好きな人がいないと思うのですが、その人とこうやって二人で触れ合うのってどういう気持ちなんでしょう?

やっぱり私もウブです。